ZULI:現代のサンプリング術士
エレクトロニックミュージックの進化において、サンプリングの重要性は筆舌に尽くせない。 とくにヒップホップやジャングルを構成する音を考えた場合、誰が音楽を作れるのか、そしてどのような技術や機材が必要なのかという既成概念が、サンプリングした素材を音源として処理/探求することによって完全にくつがえされた。 サンプリングの技術が重大な進歩になったのは、とりわけAkaiのMPCやE-MUのSP1200によるものだが、こうしたサンプラーは、DJから派生した新しい形式の音楽に応えるために制作されたものだ。 ヒップホップを築いたプロデューサーたちは、ファンクやソウル、そしてディスコのレコードを組み合わせて独自のコラージュにすることで新しい音楽を生み出すなか、それを加速/拡大させたのが、80年代に次々と押し寄せた新しい専用サンプラーだった。
以来、サンプリングは長い道のりを歩んできたが、変わらない本質的な部分もある。 たとえば、Marley Marlのスタジオで生まれた東海岸ヒップホップのレコードの独特な歯切れの良さや、4Heroの画期的なジャングル作品のざらつきにとって、使用するサンプラーの持つ音色の特性は欠かせないものだった。 機材の機能を意図的に間違った用途で使用して独自性が実現されたケースも多くある。 とくに該当するのがジャングルだ。ジャングルでは、極めて短いサンプリングタイムと高速テンポの追求によって、ダンスミュージック史上もっとも特異なタイムストレッチによるテクスチャーが誕生した。
とはいえ、往年の制作手法やそれに付随する音に対して回顧主義が続くと、現代の音楽ツールに秘められた可能性を見落としてしまいがちになる。 ただし、過去にとらわれないプロデューサーもいる。カイロを拠点にZuliとして活動するAhmed El Ghazolyだ。まばゆい未来を感じさせるZuliの音楽は、その証明となっている。 2018年のデビューアルバム『Terminal』に収録された豊かな音色のビートをはじめ、UIQやHaunterといったレーベルのほか、最近Boomkat Editionsからリリースされた魅力的なEPを聞いてみてほしい。その音を聞いて、シンセサイザーのプラグインの巧みな利用や、複数のデバイスの精巧な組み合わせが制作の中心なのだろうと想像する人がいると思う。 しかし実際には、サンプリングの思考が中心となって制作が行われている。
2021年のEP『All Caps』に収録されたこちらの曲では、ZULIがドラムンベースの有名なドラムブレイクを新しく鮮烈なフレーズに変身させている。
ネタ選び
「何かを達成しようとするとき、その手順をひたすら意識していることはほとんどない」とカイロにいるEl Ghazolyは説明する。 「自分の作業で普段やろうとしているのは、音作りのための時間と作曲のための時間を分けること。そうすれば、作曲しているときに、音が必要になっても気が散らずに済む」
今回のインタビューで焦点をあてたのは、サンプリングした素材を即興的に使い、それをWAVファイルとして録音してカットアップ/リサンプリングするEl Ghazolyの音作りに対するアプローチだった。 El Ghazolyが手にかけるサンプリングネタにルールはない。ただし、ワンショットや専用のサンプルを使うよりも曲全体をサンプリングすることが好まれているようだ。
エジプトスタイルのビートテープ。ZULIがカイロで聞いて育ったファンクやジャズをループにしてマッシュアップ。
「キックに聞こえる打音をひとつ欲しいだけでも、曲全体を使って、その部分だけに絞るか、EQにかけたほうがいい。 そのほうがより豊かな音になるんだ」
伝統的なアラブ音楽やブルースなど、サンプリングするものがどんなものであれ、その工程でEl Ghazolyはネタ元を認識できない状態にするように注力する。 そのアプローチでとりわけ興味深いのは、作業の主要なツールとして2台のCDJと1台のミキサーという典型的なDJ機材をEl Ghazolyが好んでいることだろう。
「CDJとミキサーをサンプラーみたいに使ってるよ」とEl Ghazolyは説明する。 「オールドスクールなサンプリングを今風にしたものかもね。 曲から音をサンプリングしているけど、ターンテーブルを使う代わりにCDJを使っていて、そっちのほうが高度で多くの選択肢がある」
サンプリングを重視する音楽形態ならではの独創性は、制約に抗ってきた先駆者たちの創意工夫によって実現しているところがある。 極めて短いサンプリング時間、ローファイな音声処理、そしてネタ元が、入手可能な物理的媒体に限られていた時代だと、ヒップホップやジャングルなどのジャンルでおもにアイデンティティと魅力となるのは、技術的な課題を独創的に克服することだった。 CDJを使うEl Ghazolyの場合、当然ながら、ヴァイナル指向のアナログなDJ機材よりもはるかに多くの選択肢がある。それでも、サンプリングした音を処理するうえで乗り越えなければならない制約の壁は存在する。 コンピュータでは、サンプリングした音を処理する選択肢が無限にある一方、現代のDJ機材の機能には限りがあり、ピッチコントロール、ループ、ホットキュー、比較的控えめなエフェクト数など、業界標準のDJミキサーに見られるようなものが中心となる。
そんな中、ピッチフェーダーの変化幅は、CDJではとりわけ大きく、既存の音から新しい音を豊かに生み出すために探求できる機能になっている。
極端なピッチ設定についてEl Ghazolyは次のように話す。「EQとフィルターを適切に設定して、どんなものでも低音に変えることができる。 ドローンやおもしろいテクスチャーを作るのもすごく簡単だよ。 マスターテンポを有効にして何らかの音のピッチをかなり下げると、タイムストレッチみたいな変化が技術的に生じるんだ。その変化がすごくいい。 低俗だと思う人がいるかもしれないけど、あの音が個人的にはすごく好きなんだよね。 あとすごくおもしろくなるのが、その音を、リバーブとか、時間を設定するエフェクトと組み合わせて、思い切ってピッチのスライドを動かすとき。 ピッチを変化させながら、メロディーを演奏してみることもあるよ」
CDJのホットキュー機能もEl Ghazolyの作業の中核を担う。同機能は、MPCなどの機材のドラムパッドに相当する役割を果たす。 El Ghazolyは、サンプリングでいろんなことを試していて具体的に欲しいリズムがある場合にホットキューを使う。ネタ元は楽曲内のドラムになるときもあれば、打楽器として使用したいと思ったノイズになるときもある。 もちろん、同じ結果を得るための方法はホットキュー以外にも数多くある。ただし、操作方法のちょっとした違いが制作の作業に多大な影響を与えることもあるようだ。
「とにかくCDJに慣れている。これまで何度も使ってきたから。 それもあって、俺はLiveのデバイス以外でいろいろと試しているんだよ。 サンプリングにはCDJを使うだけで、サードパーティー製プラグインも使わない」
El Ghazolyはサンプリングした音を処理して新しい音色を生成するだけでなく、2台のCDJを使って新しいリズムやグルーヴを作成/抽出する。 ネタ元はそのときによって大きく異なるものの、1台目のCDJの楽曲からループとなる箇所を見つけ、2台目のCDJの楽曲にホットキューを設定して独自のリズムをジャムれるようにする、というのが代表的な使用例だ。 2台目のCDJにディレイをかければ、クオンタイズされていない独特なリズムがいろいろと生まれる。 そうした模索をWAVでLiveに録音すれば、そこから生じたグルーブを抽出したり、作っておいた音素材を加えたりすることが可能になる。
トラックパッドの使い手
El Ghazolyはこうした“従来の”DJ機材を使って、指先の操作で表現力豊かにいろんな新しい音色を模索しつつ、同様の方法論をLive内だけでも再現している。 そのときに重要な違いとなるのが、操作方法だ。DJ機材のフェーダーやパッドに代わり、コンピュータではトラックパッドで操作することになる。操作性について否定的な評価を受けることの多いトラックパッドだが、Ed Ghazolyにとっては信頼のおけるインターフェースであるようだ。
「ツマミじゃなくトラックパッドで操作するときは、脳の働きが異なる」とEd Ghazolyは説明する。ただし、異なることは必ずしも否定的な意味を含むわけではない。 「俺は2002年からトラックパッドで制作しているけど、初めてコントローラを使ったのは2010年ごろなんだ。 だから、トラックパッドに堪能だと思うよ!」
ZULIがカイロのヒップホップシーンでビートメーカーとして活動を始めた当初の作品の多くは、ラッパーAbyusifとの数々のコラボレーションで聞くことができる。
ここで触れておきたいのは、El Ghazolyが住んでいるカイロでは、ヨーロッパの小売店からコントローラを取り寄せると莫大な費用がかかったであろうことだ。 同様に、ターンテーブルや新作のレコードに触れる機会も一切なく、El GhazolyはDenonの一体型CDミキサーを介して90年代後半にDJをするようになったそうだ。そのミキサーでは、ジョグホイールでピッチを操作しなければならなかったほか、自動的にループが設定されず、曲を前後にナッジするときは、ボタンを押さなければならなかった。 それによって身につけた技巧が、Ed Ghazolyの創作に欠かせないものとなるのも不思議ではない。
El GhazolyがトラックパッドでLiveを操作して作業するときでも、サンプリングした音の処理やリサンプリングの手順は、CDJを使うときと似ている。ただし、全体的な進捗はもっと整然としたものになり、特定のツールが作業で重要になってくるようだ。
「Liveのワープ機能は、すごく楽しい」とEl Ghazolyは明かす。 「CDJだと、ワープ機能のモードが、リピッチともうひとつの2種類しかない。 でもLiveにはモードがたくさんあるし、ワープ機能で音を引き延ばすことでたくさんの可能性が生まれる。とくに、ある音をまったく違うものにするときがそうだね。ドローンをリズムにするときとか、もしくはその逆とか」
「ワープ機能については、何時間でも語れるよ! モードを“Re-pitch”に設定するのが好きなのは当然だけど、“Beats”がおもしろいときもある。ループの頻度を指定できるからね。それによってタイミングをめちゃくちゃにして、すごくおもしろいグルーヴを生み出せるんだ。 それから違うループのモードで再生して、いくつかのビートと組み合わせるとすごいよ。 “Beats”はすごく強力だね」
ツマミじゃなくトラックパッドで操作するときは、脳の働きが異なる。
もちろん、CDJと同じような結果を得られる機能はLiveにもある。Simplerのスライスモードを使って楽曲の好きなところへ再生箇所を設定すれば、CDJのホットキューと同じ結果を得られるし、Samplerを使えばさらに過激なピッチ変化を実現できる。 しかし、El Ghazolyはサンプリングとリサンプリングを次々と行っていくなかで、さらにいろんな機能を使用する。たとえば、サンプリングした音をリバーブに送って、その残響部分をリサンプリングし、楽器のように鳴らすことだ。 では、リサンプリングするタイミングをどうやって判断しているのだろうか?
「ひとつの音に何年もかけるときもある」とEl Ghazolyは認める。 「でも、やっていたほうがいいと思ったのは、少なくとも俺にとってはだけど、サンプリングした音をSamplerかSimplerに入れて、それをユーザーライブラリに保存すること。もし複数のエフェクトを使っているなら、そのエフェクトと一緒に保存するんだ」
スタジオ以外の場所でのサンプリング
El Ghazolyのリサンプリングは、スタジオだけの話ではない。その手法はDJのテクノロジーにもとづいているため、ツアー中でも柔軟に応用することができる。 たとえば、技術的な不具合や不運に見舞われて、土壇場で即興的に対応しなければならない場合だ。ツアーをするアーティストであれば経験したことがあるだろう。
「あるとき、2019年の1月だったかな、パレスチナからMuqata'aと一緒にレジデントのイベントに向かってたんだ」とEl Ghazolyは説明する。 「その道中で荷物が盗まれたんだよ。 持っていたものすべてね。 幸い、レジデントをやっていた場所がLe Confort Moderneでポワチエだったから、レコード屋があってさ。 親切なことにターンテーブルとミキサーとラップトップを使わせてもらって、それを全部つなげて、レコード屋にあるものからサンプリングしたんだ。 それでMuqata'aとDJするときに、サンプリングしておいた楽曲から個別にドラムの音をホットキューで鳴らしたんだ」
El Ghazolyの手にかかれば、CDJは従来の楽器のように変身する。 ラジオ番組でエジプトの友人の楽曲を検索してパッドの音に変えたことや、同じく卓越したCDJの使い手であるZiúrと一緒にCDJによる即興のジャムセッションを録音したことなど、El Ghazolyは懐かしそうに話してくれた。 扱う機材がどんなものであれ、そこにネタとなる音があれば、制約があっても自分自身を表現してみせる。サンプリングされた音は、そうして紛れもなく彼だけの音に変わっていくようだ。