アーティストの活動は、自分自身の楽曲を制作することだけに留まらない。他者への楽曲提供やリミックスでは、自分以外の意見や音楽性を理解して、それに応じる技術がしばしば求められる。依頼元の規模が大きくなれば、必然と商業的な成功を求められることは想像に難くないだろう。では、自分の表現したい音楽性が他者の要望と異なる場合は、どのように折り合いをつければいいのだろうか? 細分化が進む現在の音楽シーンにおいて、その判断は自身の音楽の進む道を左右する重要なものだ。今回のインタビューで話を聞いた日本人プロデューサーのstarRoは、ジャズやロック、ビートミュージックまで幅広い知識を持ちながらも、一旦は社会人として一般企業に勤めたのちに、渡米して本格的に音楽活動を開始した経歴を持つ。ロサンゼルスの先鋭レーベルsoulectionからリリースした作品で世界から注目を集め、The Silver Lakes Chorusのリミックス『Heavy Star Movin'』は、グラミー賞の最優秀リミックス・レコーディングにノミネートされている。
ジャズ演奏家である両親のもとに生まれ、学生時代はロックやヒップホップ、ハウスに感化されながらトラック制作にのめり込んでいった彼は、The Beatlesによる中期以降の諸作に感化され、ソングライティングの楽しさに魅了されていく。Mo WaxやNinja Tuneに影響を受けたヒップホップのスタイルを踏襲しつつも、サンプリングのみならず自身の鍵盤演奏を積極的に制作へ取り入れてきた。2000年代後半、当時はまだ黎明期だったSoundcloudに公開したジャジーで洗練されたビートで頭角を現わしたstarRoは、soulectionで評価されるようなアンダーグラウンドな視点を持ちながら、Alicia KeysやFrank Ocean、Disclosureといった大物のリミックスを手掛けるなど、メジャー/インディーを自在に往来している。
アーティスト/プロデューサーとして大小の多彩な音楽シーンを経験してきたstarRoが成功を得るまでのストーリー、さらには若きクリエーターに向けた彼のメッセージは、音楽の道を志す人にとって大きな糧となるはずだ。
学生時代を経て、一時は趣味で音楽をやっていたようですが、アメリカに移住してふたたび本格的に音楽活動をするようになった経緯を教えてください。
2007年にアメリカに移住したんですが、その頃はクラブにも行かなくなって、ダンスミュージックからも離れ、アコースティックな音楽を好んで聞いていました。友だちがアメリカに遊びに来たときに、どこかクラブに行こうという話になって、90年代のヒップホップがかかっているパーティーを探して行ってみたら、それがDaddy Kevの主催するLow End Theoryだったんです。いわゆるクラシックなヒップホップはかかっていなかったのですが、普段は裏方のビートメーカーたちがステージの上にシンセとかの機材を並べてライブしていました。僕も20歳の頃から同じようなパフォーマンスをしていたこともあって、「このスタイルが市民権を得ているんだ!」と思いました。アメリカに引っ越してきたときに、音楽の機材をすべて売り払っていたのですが、ふたたびMacbookとDigital Performerを買って音楽制作をするようになりました。
starRoの活動に転機が訪れるきっかけとなったLow End Theory。
たまたま行ったパーティーがLow End Theoryで、そこから人生が変わったというのはおもしろいですね。
当時の自分が聞いていたアコースティックな音色と打ち込みを合わせたような曲を作るようになって、それをSoundcloudにアップしていくうちに2年くらいかけて段々と注目されるようになりました。フィラデルフィアに住んでいるリスナーから「君はsoulectionを聞いたほうがいいよ」と言われて、そのレーベルの存在を知ってデモテープを送ったら、「君は今まで、どこにいたんだ?」って言われて、音源を出すことになりました。たまたまその頃の自分が作っている音源が、soulectionっぽかったんだと思います。
一時はシンセを弾くことに抵抗があったようですね。
僕が若い頃に好きだった90年代のヒップホップってサンプリングが全盛で、まだシンセを取り入れるプロデューサーも少なかったですし、ロックもバンドに鍵盤がいるとダサいという流れもありました。でも、自分が音楽を表現する基盤は鍵盤なので、その時点で亜流になってしまうのが悩みでした。それが先ほど話したLow End Theoryでの体験を経て、自分が我慢していたことが解放されたというのが大きかったですね。そこからは、“単なるジャズっぽいループではないダンスミュージック”という、自分がやりたかった音楽ができるようになっていきました。
それまでのstarRoさんはわりと、自分を抑えながら活動していたんですね。
Low End Theoryで衝撃を受ける以前に僕がやっていた音楽は、今思えば、リアルなものではありませんでした。だからこの体験を経てからは、ベッドルームで音楽を作っていた自分が、前へ出て行きやすくなりました。シンセを肯定してからは、音色の無限の可能性を活かせるようになったし、音選びでも自分の感性を活かすことができるので、その自由さが楽曲にも反映される。シンセという枠にはめるのではなくて、自分が感じたものをそのまま音にできるんです。それが音楽のあるべき姿だなと思います。その頃にSonyのAcidとDigital Performerのいいとこどりをしたソフトウェアがあるというのを知ったのがAbleton Liveでした。セッションビューの見た目が好きで、「これはいいな」と。それまでサンプラーの小さい画面でやっていたこともコンピュータのモニターで見れば楽だし、作業が進むスピード感も気に入りました。当時、シンセはRoland JP-8000、プラグインだとNative InstrumentsのMassiveなどを使っていました。
その後、starRoさんはリミックスなどで世界に知られていくわけですが、いわゆる他者とのコラボやリミックス、楽曲提供というのはどのようにして始まったんですか?
Soundcloudをベースに活動をしていったのが大きかったですね。インターネットを介して世界中のプロデューサーたちとヨコのつながりができて、「一緒に作ろう」っていう話からリミックスをやるようになっていきました。でも、最初に制作したのはAlicia Keys『Fallin'』のリミックスコンテスト用のトラックでした。当時のリミックスはボーカルをチョップしたものが多く、僕はボーカルを全部そのまま残してオケを完全に変えるという手法にしました。そうしたらこの曲が入賞したんです。その後、数回コンペに出したときも入賞をして自信を持てました。こういったリミックスってある意味、まだ存在しないボーカルを想定して曲を作るのではなくて、すでにあるボーカルに対して自分を合わせていけばいいので、僕としてはシンプルなプロセスでやりやすいんですよ。あと、当時はSoundcloud上でブートレグのリミックスを作ってアップしていくことが増えました。
なるほど、そういったSoundcloudのブートリミックスになると、今話していたようないわゆるリミックスコンテストのように素材が用意されるわけではないですよね。そういったインターネット文化的なリミックスを作りながら、どのようにして自分の制作スタイルを培っていったんですか?
アカペラのトラックはなかなか手に入らないので、Soundcloudでのリミックスに関してはまず、オケを上手く消す方法を体得しましたが、それでもボーカルと同じ帯域は残ってしまいます。だから原曲のキーやコードがわかってないで、適当にリミックスすると不協和音になっちゃうんです。だからまずちゃんと原曲を聞いて曲を理解することがブートレグでは特に大事です。
そのあとでstarRoさんはグラミーの最優秀リミックスにノミネートされるわけですが、その受賞曲であるThe Silver Lakes Chorusの『Heavy Star Movin'』は、原曲の流れを生かした仕上がりでした。このリミックス制作は難しかったようですね。
あの曲はオープンなフォーマットというか、テンポも変わるし転調もするので、ある意味、どこから手を付けていいかわからない楽曲でした。だからそういうことをあまり考えないようにしました。原曲を初めて聞いたのはツアー中でしたね。険しい山道を車で走っていたときに湧き出たイメージをもとに作りました。原曲の構成を変えずに自分のイメージを織り込みつつ、そこから思い浮かんだアイデアで次の展開を作っていくという。ある意味、連載漫画のような感じなのかもしれないです。
今振り返ってみて、あの曲はどんなところが評価されたのだと思いますか?
僕がノミネートされた以前にリミックス部門で評価を受けた曲を聞くと、そこまで原曲の良さを引き立てている印象がないというか、もっとエディット的な感覚が軸にあり、それが評価されていたので、「なぜ僕が?」という気持ちがありました。それは今でも変わらないですね。それと、自分がグラミー賞にノミネートされるための条件や資格を持っていたのも大きいです。3年間自身の作品をリリースしていたり、レコーディング・アカデミーの会員であることなど、さまざまな決まりがあるんですよ。その資格を手に入れるために自分が本当にやりたい音楽を我慢して、マーケットに迎合する人が多いんじゃないかな。でも、僕の場合はSoundcloudを活動のベースにして自分がやりたい音楽だけをリリースしていたから、自分の音楽性にも正直でいられた。そういう状態でグラミーのノミネート資格を得られる位置にいる人ってあんまりいないんです。だから僕はたまたまそういうポジションにいられた珍しいタイプだったのかなと思います。
starRoさんにとってリミックスとオリジナルの楽曲制作にはどんな違いがありますか?
楽曲の制作アプローチを絵で例えると、リミックスはキャンバスに少し描いてある状態です。オリジナルの楽曲を制作するときは、僕の場合、ストックしてある曲をシンガーに渡すのではなくてゼロから一緒に作るので、まっさらなキャンバスに描いていくイメージです。なので、リミックスとオリジナルでアプローチはかなり変わりますね。ひとりで作るときもあるし、一緒に作るときは最初に話し合ったり、スタジオに入ってお互いの感覚を確認したりしながら進めていきます。
誰かと音楽制作を進めていくにあたって、若いクリエーターにアドバイスをお願いします。
まずは自分がどういうアーティストなのかを知ることが大事ですね。音楽をやっているというだけで、ほかのアーティストを同じ人種だと思いがちですが、実はそんなことはあまりないです。論理的に音楽を作る軸と、心から湧き起こったものから創作する軸の2種類があって、どんなアーティストもこの2軸の間に存在します。アーティスト活動をしていて壁にぶつかったり、孤独だと感じたりするときに根本にあるのは、相手を自分と同じタイプの人間だと思っていたのに、目指しているものが違うと感じる気持ちだと思います。だからこそ、アーティストとしてまず何がしたいのかを自分でわかってほしい。たとえば、単純に“富と名声が欲しい”のなら、そこに辿り着くために一番の近道を探す。つまり、何が流行っているかを最短距離で把握するスキルや感性が必要だし、音楽で稼ぐにはマーケットを認知することも大切です。“自分の表現をしたい”のなら、マーケットに迎合する必要はなくなってくる。もし、自分が後者だと思うなら、音楽は作りたいときに作ったほうがいいです。毎日作っていると何も感じなくなってしまうこともあるから。このようにアーティストでもタイプによって活動の仕方はまったく変わってきます。
なるほど、いわゆるアーティストにとってのメタ認知ということですね。
音楽で食べていくとなると、マーケットのことを知らないといけないし、論理的に音楽を作る必要がでてくるので、どうしてもそっち側に寄っていってしまう。僕もそうでした。実は、僕は論理的に作るタイプではないのに、そっち側で続けていくうちに自己肯定ができなくなって悩んでしまいました。Soundcloudでリミックスを作っていた頃は、自分も周りの人間も単純に好きなものを作って楽しくやっていたんですけど、グラミー賞にノミネートされてからは、商業ベースの仕事も増えました。でも、当時はそういうことに何の疑問を感じることなくやっていました。プロデューサーとしてビッグなアーティストを手掛けるのは、自分としても望んでいたことでもあったわけで、それが当然だと思っていましたから。でも、いざその世界に飛び込んでみると、そこで知り合う人たちは、Soundcloudで楽しくやっていた頃とはまったく違う人種でした。僕の場合、そのことに早く気がついたからまだよかったのですが、その世界に馴染めないのにその中でもがいて疲弊して、最終的に音楽を辞めてしまう人も見てきて。今は昔以上に音楽もスタイルも細分化されてきている。だからこそ、音楽性だけではなくて精神性がすごく大事になってきていると思いますね。
確かに、そこは実際に体験をした人にしかわからない部分ではありますよね。
それもあって、最近ではワークショップをやったり、noteに書き留めたりして、自分の体験を言語化するようにしています。やっぱりこれからアーティストとして活動していく人は、そういったことを念頭に置いたほうが良いと思いますから。
音楽制作もインターネットもテクノロジーの発達で、アーティスト自身でコントロールできる部分が増えた分、細分化も進み、悩む部分も増えていますよね。
確かに選択肢は広いのですが、日本で活動していくとなると、ちょっと事情が変わってきます。日本は1990年代後半~2000年代にかけて、アンダーグラウンドで好きなことをやって活躍していたアーティストが成功を収めていましたが、現在はマーケットがアルゴリズム化され、それにマッチした音楽だけが必要になってきています。ですから、お金を稼いで成功したいけど、心から沸き起こったものを創作するタイプの人だったら、その気持ちをずっと我慢しなくてはならなくなる。でも、だからと言って、好きな音楽で食べていけないのかといったらそういうわけでもなく、音楽をお金にする方法はほかにいくらでもあります。簡単に言うと、自分と同じ精神性を持った人たちがいるマーケットを探せばいい。そういうアイデアを考えるための前提になるのが、先ほど話した自分がどういうポジションで活動していくのかを知ることなんです。
starRoさんが今言っていた精神性が異なる人たちと一緒に仕事としての音楽制作をする場合、どうやって折り合いを付けていくのでしょうか。
その仕事によってお金が手に入るとか、名前が売れるという目的があるのなら、自分が持つ音楽的なアイデンティティをあまり出さないほうが良いと思います。でも、そういうのが嫌だと思うなら仕事を断ったほうがいい。僕も依頼が来たときに「自分らしくやってもいいですか?」と確認して、折り合いがつかないようなら最初から断るようにしています。もちろん精神性が合う人とやる場合でも、音楽性の衝突などはあったりしますが、そういった場合は「おもしろい」と思って取り込むようにしています。僕の手掛けた曲でMasegoをフィーチャーした『Yams』がいい例ですね。彼の音楽や感性は好きでしたが、彼が提案してきたものが「え、これ?」って感じで、嫌だったことがあって。で、そのまま1年間くらい寝かせておいて、久しぶりに聞いたら「もしかしたら、おもしろいかもしれない」と思ってリリースしたんです。そうしたら、周りの人が飛びついたということがありました。ですから、自分にとって違和感のあるものが、実は新しかったりもするわけで、そういうことをしていかないとアーティストとしても成長しないと思いますね。
確かに、こだわりは捨てたほうが良いときもありますね。日本は音楽活動だけをしていく人よりも、仕事は別であって趣味として真剣に音楽をやっている人も多いですし、今回の話はすごくためになると思います。
特に今はコロナウイルスのこともあって、アーティストとして活動していくことを考える時期にあると思っていて。やっぱり人間として幸せに生きることがまず前提にあって、そのなかで僕は音楽を作ることでさらに人生が充足すると思っています。その意味でも生活の基盤をしっかりとしていたほうが良いから、別の仕事しながら音楽をやるということは、いいことだと思いますよ。
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文/インタビュー:Daisuke Ito