ササノマリイ:既存の作曲プロセスとは一線を画す“最新の楽器”としてのPush 3
Ableton Liveを高いレベルで使いこなすシンガーソングライター、トラックメイカーであり、バンド・Diosのキーボーディストでもあるササノマリイ氏。音を緻密に積み上げていくセッションビューと、カットアップなど波形編集を行うアレンジメントビューを行き来するスタイルで制作を進める同氏の傍らには、常にコントローラーとしてのPushデバイスが置かれていた。
そんななか満を持して登場したスタンドアロン版『Push 3』。入力インタフェースとしてでなく「作曲の楽しさを再確認するような」新しい楽器としての価値を見出したというササノマリイ氏に、本機の持つ魅力や具体的な制作ワークフローについて聞いた。
サンプリングから演奏、そしてLiveを用いた作曲活動へ
――音楽活動を始めたきっかけを教えてください。
物心つくかどうかの頃、親にSONY製の子供向けテープレコーダーを買ってもらったんです。録音とテープスピード可変の再生ができて、叩くと音が鳴るパッドが4つ付いているおもちゃでしたが、これを個人的にすごく気に入って小学校時代はずっと好きな音楽をサンプリングして遊んでいたんですね。
その後小学4年生くらいのとき、『覚醒都市』(2002,新居 昭乃 / ビクターエンタテインメント)の音の重なりの美しさに感動して、キーボードを弾くようになりました。特定の楽曲を弾くというより、ひたすらコードを押さえているような少年時代を過ごしましたね。
――幼少期にサンプリングを遊びとして行っていたのは面白い経験ですね。
その後、ゲームボーイで発売されていた「ポケットカメラ」搭載のDJモードで打ち込みを覚えました。たしか、16ステップで3トラック分のシーケンスが入力できたと記憶しています。また当時はユーロビートにハマっており、あるとき「この速いメロディは人間が演奏しているものではないのでは?」と気付きまして、そこから自宅にあった家族用のPCを使ってフリーのMIDIシーケンサーを扱うようになりました。
――現在のメインDAWはAbleton Liveだと思いますが、ソフトウェアはどういった変遷があったのでしょうか。
最初はピストンコラージュというWindows専用のフリーソフトを使っていましたが、専門学校に入学するときにMacBook Proを購入したため、制作環境を一新しました。それまでも他の有償ツールを使って楽曲制作を行い、MySpaceやニコニコ動画に投稿していたのですが、Mac導入のタイミングで一気にLive 7に乗り換えたんですね。
自分が影響を受けたkzさんが使っていたことも理由のひとつですが、他のDAWに比べて音源やエフェクトの位置関係が把握しやすかったことと、マウスオーバーで情報が表示(インフォビュー)されるために迷いにくかったこともあって、とにかく音楽が作りやすいDAWだと感じていました。特に、セッションビューが自分のやりたい音楽と100%合致していたのは衝撃的でした。
――現在もセッションビューを中心に楽曲制作を行っていますか?
楽曲の骨子はセッションビューで制作し、アレンジメントビューでブレイクの編集や波形のカットアップなどを行っています。音を重ねていく足し算的な音楽が好きなのと、短いビートをループ再生しながら自由にピアノを演奏してフレーズを作っていくスタイルが好みなので、作曲という作業においてはほぼセッションビューだけで行っています。
コントローラーとしてのPushから、楽器としてのPush 3への進化
――Pushは初代から使用されているとのことですが、最初に導入した理由を教えてください。
Ableton Liveの機能や付属プラグインに依存したスタイルで制作を行っているので、専用のコントローラーとしてPushを導入したのは自然な流れでした。正直、PushやPush 2の時点で、コントローラーとしてはまったく困ることのないデバイスだったんです。
ただ、Push 3はまったくの別物として、驚きを持ってリリース情報を受け止めていました。それまでもスタンドアロンのPushが出る噂は毎年のように出ていましたのですが、今回はどうやら本物だと。
――Push 3では初めてスタンドアロン版として登場しましたね。
私は純粋にハードシーケンサーが好きですし、MPCなどのサンプラーも扱ったことはありますが、これまでのハード機材では複雑なパターンかつメロディアスな楽曲が作りたいという欲求に対して制限が多かったと感じていました。ただ一方で、これらのハードウェアは「音楽と戯れる」「音楽で遊ぶ」という用途には最適だったんです。
音楽と戯れるときの脳と、曲を作りたいときの脳は働きが異なるんですね。結局、「曲を作る」という行為にはLiveに持っていくことがマストで、いつかLiveがハードで動いたら良いのに、という想いはずっとあったんです。
――音楽と戯れながら、Liveの持つ機能でしっかりと構成された楽曲を作ることもできるという意味では、Push 3は最適解だったと。DAWではなく、ある種の楽器として見ているんですね。
そうですね。ただ、実はその前にもAbleton Noteで一度衝撃を受けているんです。iPhoneという小型ハードでAbletonのアプリが動くという信頼感と、Liveの付属音源と同じサウンドが鳴るというのがわかったときに「これだ!」となって、夢中で触っていました。他DAWのiOSアプリ版と異なり、マウスに最適化されたGUIではなく、直接触ることの出来る楽器としての魅力があったように感じます。その半年後にPush 3が発表されて、本当に嬉しかったのを良く覚えています。
――Push 3について、ハードウェアとしてのファーストインプレッションを教えてください。
最初に目についたのはエンコーダーのダイヤルノブで、「まずはこれで音源を探すんだな」というのがすぐ理解できました。私自身がLiveに慣れているという理由もあるとは思いますが、初見である程度トラックが作れるところまでいける感覚はありましたね。録音や再生などのトランスポートはPush 2と変わっておらず、その他のボリュームノブや出力の切り替え、各種ダイヤルやパッドもPush単体ですべてが完結できるような合理的かつキレイな配置になっていると思います。
高性能なサンプラーを扱う際、普通は機材特有のファイル構造やワークフローを覚えないとぎこちなくなりますが、Push 3は完全にLiveが走っているので一切悩むことがありませんでした。
――ボタン配置の合理性とは、具体的にどのような意味合いでしょうか。
スタンドアロンで動作するものは持ち運んで使うことが想定されると思います。その場合、足の上に乗せて使うシーンが多いはずです。Push 3は抱えて持ったとき、操作子がすべて指の先にあるんですよ。
そして、パッドを使いたいときは、手を動かすのではなく、肘から先を回転させるだけで良いんです。手の動きが最小限で済み、やりたいことに直接アクセスできるのがハードウェアとしての美しさだと考えています。ファンレスなのも嬉しくて、本体に穴がないのでホコリなどが入らないのもポジティブです。少し熱を持つこともありますが、そこはPCが入っていると考えれば充分許容できる範囲だと思います。
――まさに機能美ですね。SNS上でも膝の上でパフォーマンスしている映像がありましたね。
ライブパフォーマンス用のコントローラーとしてはバッテリー内蔵であることも含めて有用だと感じました。LEDがPush 2よりも明るいし、ACアダプタが壊れても本体バッテリーで演奏できるので、そういった点でも良い機材だと思います。ADATで8chパラで出力できるので、PAも助かると思います。
とにかく、Push 3では完全に「楽器を触っている」という感覚に脳を切り替えることができました。Push 2までは「このボタンを触ればAbletonの画面がこうなる」という想定でしたが、Push 3は完全にスタンドアロンの楽器として扱えています。
――オーディオインターフェース機能について、音質面の評価はいかがでしょうか。
S/N比を含めてもまったく問題ありません。ホワイトノイズも問題なくクリーンな音質と感じますし、周波数も気になる部分はありません。昔のサンプラーで想像している方がいたら、そこは全然違うんだということを分かっていただきたいと思います。私が持っているインターフェース単体より良い音かもしれませんね。
「作曲」に慣れた人にこそ使って欲しい、Push 3を用いた制作ワークフロー
――Push 3で具体的に楽曲制作を行う場合のワークフローを教えてください。
Live側でメインで使うトラックを並べて、そのプロジェクトファイルをWi-Fi経由でPush 3側に送って、Push 3側でセッションビューの編集を行います。PCに繋いで使うことは無いんですよね。
データを外に連れ出して、ハードでしか味わえない作曲体験をもってトラックを組んでいき、作曲が終わったら再びLiveに戻してアレンジメントビューで波形編集やミキシングなどを行っていきます。
――ハードでしか味わえない作曲体験とは、どういったものでしょうか。わざわざ外にデータを持ち出さなくても、Push 2をLiveコントローラーとして使うだけで同様のワークフローを組むことができるような気がします。
PCとコントローラーでは作曲の“作業”をしている感覚になるんです。リアルタイムに、音楽的情報をPCに送信しているだけ。常に時刻が表示されていたり、メーラーも見えてしまったり、PCでは集中力が維持しにくいと考えています。
一方、Push 3はハードが一体となっており、Push自体が楽器として音を鳴らしてくれるので、マインドが「演奏」に寄るんですよ。Pushで曲を作る気持ちになったら、それは楽器を扱うことと同義になります。ただ純粋にPushの電源を入れて、その楽器の提供するインターフェースで、その楽器が与える方法で演奏をして音楽にしていく。この体験と集中力が非常に強力だと感じています。
――先ほど「音楽で遊ぶ」と「曲を作る」という頭の使い方が異なるという話がありましたが、そこが一体になる感覚なんですね。
完パケを作る際はLiveに持っていきますが、曲作りは最初から最後までPush 3で行います。Push 3単体でもマスターにエフェクトを掛けることはできるので、ある程度のミックスまでは作ることができますが、波形編集などはアレンジメントビュー側がやりやすいです。
――Push 3のパッドはMPE(MIDI Polyphonic Expression)に対応しており、ノート単位でのピッチ変化やアフタータッチが実現しています。まさに楽器としての演奏を拡張する機能だと思いますが、ご感想をお聞かせください。
正直、Push 3登場以前にMPE規格の話を聞いた際は「いつ使うかわからない機能」だと考えていました。私がキーボードをメインに弾いていたこともあって、鍵盤のひとつの音程だけ変えられるメリットが良く分かっていなかったんです。でも、ピアノの原型とも言える「クラヴィコード」は鍵盤を揺らすと物理的にモジュレーションが掛かっていました。また、ギターもフレットを押さえる位置や強さによって音程に揺らぎが生まれます。私はトロンボーンを吹いていましたが、あれは一番揺らぎのある楽器ですよね。
Push 3のパッドがMPEに対応したことで、MPEの持つ生っぽい表現、ある種の有機的表現を実現する機能は、この楽器の特徴のひとつではないかと感じ始めました。あるいは電圧や温度・湿度によって揺らぐアナログシンセのように、私自身が制御しきれない音楽を形作れる期待感はすごくあります。
――「揺らぎ」は音楽にとって重要な要素です。ちなみに、私自身も鍵盤奏者としてお伺いしたいのですが、パッドでの演奏と一般的なMIDIキーボードでの演奏では考えていることが異なるのでしょうか。
鍵盤をある程度弾ける人は、必ず手癖があります。それがまっさらになる時点で、メロディの絶対的なクセや普段の思考回路が崩されます。このおかげで、鍵盤のアプローチとは異なるメロディラインを作ることができていると思います。
Pushの場合はスケールに沿ってパッドが光るため、パッド上でコードを押さえたり、メロディを弾いたりする際のガイドも充分です。慣れれば左手でコードを押さえて、右手でメロディを弾くこともできると思います。
それと、Push 3ではキャプチャボタンが専用で用意されている点が嬉しいです。自由に弾いて、良いテイクだと思ったタイミングでキャプチャすることで、そのタイミングで弾いた内容がMIDIレコーディングされていきます。再生していなくても有効な機能なので、難しいことは考えず、とにかく自由に叩いて弾いて演奏して、上手くいったら採用するワークフローであることは頭に入れておくと良いと思います。
――最後に、このPush 3はどのようなクリエイターにオススメなのかを教えてください。
Push 3は楽器を触る楽しさを再体験できるデバイスです。Push 2と同様にコントローラーとしても使えますが、個人的には「既存の作曲プロセスにどう組み込むか?」を考えるよりも自由度の高い新たな楽器として触る方が良いと考えています。サンプラーなどに縁遠い人でも、生楽器を触っていた方であれば、超未来的なマルチトラックレコーダーと考えることもできます。
Liveユーザーに関しては、細やかなアップデートが本当に行き届いているし、キャプチャボタンも便利だし、ライブパフォーマンスにも使えるので、とにかく皆さんにオススメしたいですね。ぜひ一度触っていただいて、この新鮮な作曲スタイルを楽しんでもらえたらと思います。
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今回、特別にササノ氏が独自に制作したPush用のエフェクト・ラック集を提供してくれた。
以下をダウンロードしてPushで使ってみよう。
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