Peder Mannerfelt: 『The Swedish Congo Record』
昨年の5月、Peder Mannerfeltは、年内にリリースされたアルバムの中でも最も興味深く意欲的な作品のひとつを、Yves De MeyとPeter Van HoesenのArchives Intérieuresレーベルからリリースしました。『The Swedish Congo Record』は、中央コンゴのサウンドをキャプチャした最初のヨーロッパ人のひとりであるベルギーの映画製作者Armand Denisによりリリースされた78回転をベースとしています。1950年に『The Belgian Congo Records』としてリリースされたその素材は、Mannerfeltによって、1930年代に赤道下の大森林で録音されたサウンドの意欲的なエレクトロニックによる再現と再解釈のきっかけとしてMannerfeltにより使用されています。
Mannerfeltは、The Subliminal Kid、Roll The Dice、そしてFever Rayのコラボレーターとして、ここ10年間にさまざまな名義で作品をリリースしています。『The Swedish Congo Record』では、アフリカ伝統音楽への関心の高まりが彼をDenisの民俗学的録音物へと導きました。コンセプトを生み出す上で、素材との関わりはサンプリングでのそれを超えるものとなっており(それゆえに文化の盗用/搾取について考えさせるものともなっている)、Mannerfeltはこれらの音楽を新形態へと再形成し、元の素材のリズムとテクスチャの複雑性を活用して心を躍らせるほど深くオリジナリティにあふれる作品を生み出しています。
このプロジェクトは西欧の植民地主義に関する問いかけをもたらすと共に、コンゴにおける容赦ない搾取とその結果として中央アフリカに残された深い傷を思い出させるものとなっています。ベルリンで開催されるCTMでのライブに向けて準備中のMannerfeltに、アルバム制作秘話について話を聞きました。
『Swedish Congo Record』は長年にわたる非西洋の音楽/「民族的」作品への興味から生まれたものですか?音楽およびその他の領域において、この作品であなたの興味を引いたのは何ですか?
数年前、たくさんのアフリカ伝統音楽作品を購入し、新しい音楽を探して「ワールド・ミュージック」のスパイラルを辿った結果です。これらの作品をサンプル素材として使用するつもりでしたが、この種のレコードに夢中になればなるほど、これらはすでに完成形なのだという思いが強くなり、ただサンプリングして808キックをかぶせるなどというのは失礼だと感じるようになりました。
それで、自分の持つ音楽制作のテクニックと知識を使用してこれらのレコードのいずれかを全体として再現しようとする方がより誠実だと思うようになりました。このレコードのカバーを作成しようと思ったのです。この作品を選んだのは、アフリカ先住民音楽を録音した最古の作品のひとつだったからです。ベルギー領コンゴと呼ばれていた1930年代に録音されています。録音の忠実度の低さは、音源を捉えにくいものにし、音楽に曖昧さをもたらしており、私にとってこれは大きな障害でしたが、この曖昧さを利用して私の個性を表現する余地を残すことにしました。
このレコードは、人種、搾取、植民地主義、文化の盗用など、さまざまな問題に触れています。この作品の政治的声明としての度合いは?またリスナーに対してはどのような反応を期待していますか?
これは非常に政治色の強い作品で、批判が思ったほどではないことに少し驚いています。私の意図は、こういったテーマを表面化させることにあります―サンプリングは現代の音楽制作において不可欠な部分となっていますが、なぜサンプリングするのか、なぜその素材なのか、その行為が制作する音楽に与える意味とは何なのかについて考える時間を持つことはある意味よいことだと思います。
私はサンプリングが好きですし、サンプルで作成された音楽も好きです。最も刺激的な制作形態のひとつだと思います。でも、時には正反対の手法を試してみるのもよいことで、このプロジェクトで私が強調したいのは多分そこなのではないかと思います。
盗用と植民地主義についての考察も、私が提起したかったことのひとつです。この作品が盗用の一例ではないと言っているのではなく、この問題に関するより幅広い議論に参加できればこれ以上うれしいことはありません。
なぜサンプリングするのか、なぜその素材なのか、その行為が制作する音楽に与える意味とは何なのかについて考える時間を持つこと
レコードをアルバムを構成するトラックに変換する技術的なプロセスについてお聞かせください。編み出した「メソッド」はひとつだけですか、それとも複数?
どちらかというと研究プロジェクトとしてスタートしたものだったので、元のプランはこれらの作品を再現することでポリリズムとドラム合成について少し学ぼうというものでした。3~4週間かかるかなと考えていたのですが、結果として2012年のほとんどを費やすことになり、どんどん深みにはまっていきました。
サウンドや音楽の1層を解読するごとに、2つの別の層が現れるといった感じでした。このプロセスには既知の公式というものがありません。たくさんの異なるプログラムやアルゴリズムを試してリズムやハーモニーを自動生成させてみましたが、複雑であること、また音楽が西洋のものとは異なることから、結果は散々なもので、トラックを何度も聴いて音のひとつひとつをゼロから再現していかねばなりませんでした。
大変だったのは自分に音楽の才能がなかったことも原因でしょうが、このプロセスを経ることで、それがひとつの形になったように感じます。学術的で無味乾燥だったものがサウンドの小世界を形成するに至ったのです。この作品が人々に魅力的に感じられるのはそのためではないかと思います。音楽は私のアイデアから生まれ、さまざまな加工を経て、非常に地域色の強い魅力的なレコードへと進化しました。
ボーカル・パートでは、フォルマント・フィルタリングと呼ばれるテクニックを使用しました。これは、EQと固定周波数を使用して母音を合成する手法で、すべてが「あああええいいいおおううう」となるのはこのためです。これらの作品を引き立たせているのはこのボーカルだと思います。元の録音物で最も興味深いと感じた部分でもあり、何度聴いても聞き飽きませんでした。
CTMフェスティバルではこの作品をどのような形でパフォーマンスされる予定ですか?
この作品をライブでやることにはためらいがあったのですが、それは主に、このプロジェクト自体にかなりの時間をかけた後の私自身の意識が原因でした。これをリリースしたいのかどうかさえ確信が持てなくて、PeterとYvesに聴かせるまで1年以上もハードディスクに置きっぱなしにしていたんです。
それでも、ライブ・オーディエンスに対してこの作品を上演するすばらしい機会をCTMフェスティバルにいただくことができました。オリジナル作品の意図と創作が非常にグループ色の強いものだけに、これを自分だけのソロのショーにしたくなかったので、(Fever Rayで一緒にプレイしている)Liliana Zavalaに応援を頼みました。彼女には以前にもこのアルバムのためのリズム・パターンの書き起こしで助けてもらったこともあり、ライブでも彼女に参加してもらうのが非常に自然なことに感じられました。
基本的に、Lilianaと2名のパーカッショニストMaria OlssonとDiva Cruzに参加してもらう予定です。彼女たちがリズムをライブ演奏しますが、ドラムのアコースティック・サウンドの代わりにピエゾのトリガーマイクを使用して私がコントロールするかなりの数のシンセをトリガーします。(Roll The Diceというプロジェクトを一緒にやっている)Malcolmも呼んで、ボーカル・パートをシンセでプレイしてもらおうと思っています。正直なところ、しっかりリハーサルする時間がまだ取れておらず、どんな結果になるのかまだ分からないのですが、一緒にプレイするミュージシャンの腕には確信があるし、きっと想像を大きく裏切るような何かが生まれるだろうと思っています。これはこのプロジェクトに関するすべてに対して言えることですが、自分でもすべてをコントロールできている感じがあまりしないんです。初めからプロジェクトが自らの道を進んでいるような気分で、私にできることといえば、踏ん張って付いていくことだけですよ!
Peder Mannerfeltについて詳しくは、Soundcloudをご覧ください。
写真: Erik Wahlstrom