Nami Sato:直感とコンセプトの表現
制作を続けるなかで、音楽家は、時として価値観が大きく変わるような出来事に遭遇する。その変化はどのような手法やアプローチによって作品に反映されるのだろうか。宮城県仙台市荒浜出身のサウンドアーティスト、Nami Satoが前作EP『Our Map Here』に続き、ロンドンのレーベルTHE AMBIENT ZONEから2021年3月に発表したアルバム『World Sketch Monologue』は、そんな音楽家としての大きな転機を捉えた作品だ。この作品以前の彼女は、2011年の東日本大震災をきっかけに、自身によるシンセサイザーをはじめ、ピアノやギター、声やフィールドレコーディングで採音した素材を幾重にも重ね、記憶や匂い、心象風景を喚起するサウンドスケープを生み出してきた。
そのコンセプチュアルな作風が大きく変化するきっかけとなったのは、世界37カ国から選ばれた61人のアーティストのひとりとして日本から参加したRed Bull Music Academy 2018 Berlinだ。ドイツ・ベルリンで2週間にわたって、レコーディングセッションやライブパフォーマンス、第一線で活躍してきた世界中のアーティストや音楽関係者によるレクチャーを体験した彼女は、そこで目の当たりにしたコンセプトにとらわれない自由な音楽制作を自ら実践。アルバム『World Sketch Monologue』は、新たに体得したフリーハンドのスケッチによって、新境地を鮮やかに描き出している。Ableton Liveを使い始めてから4年、チュートリアル動画やミートアップに参加しながら、新たな手法を吸収しているというNami Satoに音楽観や制作手法の変化、作品とLiveの関係性について語ってもらった。
Namiさんがこれまでリリースしてきた作品は明確なコンセプトが設定されたものが多いですよね。
そうですね。大学の卒業制作として作った2013年の『ARAHAMA callings』は、東日本大震災のとき、電話が10日間くらい誰ともつながらないという状況を経験して、断絶されたものをもう一度つなげられるように、いろんな意味でつなげられるようにと思って作ったアルバム。だから、電話のコール音で始まって、電話を取るところで終わる体裁になっている、コンセプトありきの作品ですね。2019年のEP『Our Map Here』もコンセプトありきというか、あの作品は震災関連の企画展のために作ったもので、震災を経験した土地でフィールドレコーディングを行って、その音源をもとに楽曲を制作したEPですね。
Nami Sato『ARAHAMA callings』
作品では、その場の風景をイメージさせるようなフィールドレコーディングの音素材を頻繁に用いられていますが、音効技師が映画に音を付けるように、ご自身のなかで音楽と映像が強く結びついているのでしょうか?
そう言われたりもするんですけど、わたしのなかでは映像よりもその場の匂いが音と強く結びついているんですよ。ひとつの匂いでもそこには幾重ものレイヤーがあって、そのレイヤーを解体して、そのひとつひとつを音に変換するように音楽を作っていくんです。抽象的な話になってしまうんですけど、自分にとって、音楽は小舟のようなもので、その小舟を動かすきっかけ、大きなエネルギーとなったのが震災だったんですけど、その舟に乗せてもらって、違う場所に行ったら、そこで体験したことやその場の香りを音楽にして、その音楽がまた違う場所に連れていってくれるような感覚なんです。わたしは街のピアノ教室に通っていた程度で、音楽の専門教育を受けたことがなく、通っていた美大では映像を専攻していたんですけど、映画の授業では脚本を書かされるんですよ。綿密にストーリーを練って、そこにひとつでも破綻があると教授に指摘されるんです。わたしの場合、音楽制作もストーリーを追いかけているようなところがあって、ひとつひとつのパーツを破綻のないように並べていくと、それが音楽になっていくんです。
そうしたパーツの制作、配置にDAWが介在してくると。
Liveは使い始めて4年弱くらいで、限られた機能しか使ってないんです。たとえば、『Our Map Here』に収録の“Sanbonzuka”では、地元、仙台の郷土料理、ずんだ餅のワークショップに行ったときに、おばあちゃんたちが職人のような手つきで枝豆をすりつぶしていて、その音をフィールドレコーディングしてそのままビートにできるなと思ったんです。LiveのSimplerに入れてArpeggiatorで鳴らせば、鍵盤を押すだけで、ずんだ餅の音の断片からリズムが生まれるので、それを録音してエディットして、ビートとして使いました。わたしは音のレイヤリングとか、コードや和声の美しさが大好きでもあるので、以前は1曲で150トラック使うこともありましたね。
ずんだ餅を作る音が使われた“Sanbounzuka”。
匂いやストーリーを抜きに、まず、機材を触って、音を出してみて、おもしろいフレーズや響きを端緒に、曲を広げていくような作り方はされますか?
わたしは2018年まで地元のクラブコミュニティや音楽シーンにほとんど関わることなく、陸の孤島にいるような隔絶された環境で音楽を作ってきました。それだけ音楽がパーソナルで、大事なものだったので、むしろ、誰にも関わって欲しくなかったんです。だから、わたしが唯一知っていた音楽制作の方法は、匂いを表現したり、ストーリーを追いかけたりするような曲作りなんですね。それを続けていたので、手を動かして、音と戯れながら、そこから生まれる音をさらに発展させるような曲の作り方は想像もつかなかったですね。それを初めて知ったときは、こんな自由な音楽制作のやり方があるのかと驚かされました。
初めて知ったのは?
2018年に参加したベルリンでのRed Bull Music Academyです。それまで、日本の田舎で生まれ育って、誰とも共同制作することなく、部屋で独り曲作りをしていた人間が、英語が出来ないまま、外国人だらけのコミュニティにポンと放り出されたとき、コミュニケーションの手段は音楽しかなくて。だから、周りと意思疎通を図るためには、コンセプトやストーリーを考えるまえに手を動かすしかなくて、そうやって試行錯誤しているうちに、周りのみんながやっているように、自然に出てきた音のなかからいいものを選んで広げていく。そういう身体性に依存した音楽の作り方があることを身をもって学びました。
その体験が大きな転機になったわけですね?
そうです。Red Bull Music Academyは、わたしが大きな影響を受けているBrian Enoのインタビュー動画もアップしていて、そこで「DAWは何でも出来すぎてしまうから、依存しすぎないように」という話が語られていたんです。逆にひとつの機材に1年向き合うとか、1本のギターを弾き続けるとか、できることに限りはあるけれど、そこから何か新しいことを生み出そうと試行錯誤することが大事なんだ、と。だから、わたしも今まで絶対的に依存していたDAWから離れ、ハードウェアに向き合って、楽曲制作をしてみようと思ったんですけど、Red Bull Music AcademyでスタッフのひとりとしてKORG Monologueを開発された高橋達也さんがいらっしゃって、その使い方であったり、アナログの音のすばらしさだったりを教えていただいたこともあり、『Our Map Here』の完成後に、本格的にMonologueを触るようになりました。そこからは、つまみを1ミリひねっては録音して、その波形を見て、の繰り返しですよね。アナログシンセサイザーは毎日違う音が鳴るし、触り始めてから2年経っても、新しい音との出会いや発見があるんです。
「目に映るものがすべて初めて見るものだったとしたら、それをそのまま音にしたら、どうなるんだろう?」って。
2021年3月リリースのアルバム『World Sketch Monologue』は、これまでの作風から一転して、ミニマルなアプローチでアナログシンセサイザーによって織り上げられていますよね。
最近はまたちょっと流れが変わってきていますけど、街で耳に入ってくる日本のポップスの多くは音数が多かったりするじゃないですか。しかも、わたしは音楽の情報に限りがある地方都市に生まれ育ったので、音楽は音数が多くて当たり前という認識だったというか。でも、たとえば、アメリカの電子音楽家Laurie Spiegelが1980年に発表した『The Expanding Universe』は音数が相当に少なくて、すごくかっこいいアルバムだし、ここ5年くらい、いろんな音楽に触れるなかで、音数が多い表現が当たり前というわけではないことに気づかされて。自分でも音数を減らした楽曲制作に挑戦してみようと思ったんです。それで、Electro-Harmonix 45000という4トラックのルーパーを使うようになりました。そのルーパーでMonologueの音を重ねて、リアルタイムでフィジカルにミックスダウンしていったんですけど、機材自体の出力に癖があったり、細かいノイズが乗ったりすることもあって、それをそのまま音源化するのは現実的ではなかったんです。ただ、ルーパーのフェーダーを上げ下げするような身体性は失いたくなかったので、4トラックすべてをLiveのセッションビューに入れて、音の抜き差し、上げ下げをオートメーションで書き込むのではなく、自分の指で直感的に操作するようにしました。曲によっては、リバーブを追加したものもあるんですが、今回はあれこれ触りたくなるのをぐっと堪えて、ミックスダウンのためだけに使いました。
コンセプトに代わって音そのものの響きに焦点をあてて制作された『World Sketch Monologue』。
作品で使われているフィールドレコーディングの素材も音数をぐっと絞って、抽象度が増していますよね。
今回、フィールドレコーディングの素材を使ったのは、3曲くらい。それもアナログシンセサイザーと同じような質量で、音としておもしろいものを用いたんです。どうしてそうなったかというと、制作時はまったく意識していなかったんですけど、多分、パーソナルな作品を作りたかったからだと思います。わたしが通っていた美術大学の教育は、自分の内なるパッションを表現することよりアートが社会に対して何が出来るのかを常に考えて、地域にコミットしていこうという傾向が強くて、わたし自身がその指針に則って、音楽制作を10年続けてきたんですね。けど、Red Bull Music Academyで受講生がおもちゃを触る子供のようにLiveのセッションビューで遊んでいる光景を目の当たりにして、自分に課していた重りがいい意味で取れたんですよ。これくらいフランクに楽しみながら音楽を作ってもいいんだって。わたしは震災に関連した作品をいくつかリリースしてきましたし、そうした作品からわたしのことをアクティビストと捉えてもらってもいいんですけど、それ以前にわたしは音楽家であって、音と戯れるのが楽しいし、それを形にするのが楽しいんですよね。だから、最初の作品を発表してから10年かけて、内なる音楽、それを表現する楽しさに立ち返ったのが今回のアルバムなんだと思います。
つまり、コンセプトから解放された自由な音楽制作を実践した作品なんですね。
そうですね。日記のような作品なので、具体的なコンセプトやテーマはないんです。強いて挙げるとするなら、わたし、3年前に友達に連れられて占い師に見てもらったことがあって、そこで「あなたの前世は岩です」って言われたんですね(笑)。どうやら、人間として生を受けたのは初めてらしく、そう言われて以来、上手くいかないことがあっても、「わたしは人間として生きるのは初めてだから」と思えるというか、楽になるというか。まぁ、それを信じているわけではないんですけど、頭の片隅に置いておくと、世界を初めて見るようなフレッシュな感覚になったりもして、「目に映るものがすべて初めて見るものだったとしたら、それをそのまま音にしたら、どうなるんだろう?」って。そういう独白みたいなものを積み重ねていったアルバムでもあり、音を出すたびに発見や驚きをもたらしてくれるMonologueというアナログシンセサイザーによるフレッシュな世界のスケッチでもあるんです。
Liveの自由度の高さを象徴するセッションビューで、アルバムのミックスダウンを行ったところもNamiさんの音楽世界の広がりを物語っているのかもしれませんね。
わたしは、女性が地方で音楽を学ぶのはかなり過酷なことだと思っているんです。クラブミュージックのコミュニティは男性が多かったりするし、わたしが20歳くらいの頃は、たとえば女性がDJをやりたい、トラックを作ってみたいと思ったら、自分に好意を寄せているようなクラブ界隈の先輩に習うとか、ボーイフレンドがDJやってるから教えてもらうとか、そういう限られた選択肢しかないような環境だったんです。それってフェアじゃないし、面倒なことも起こりやすかったりするじゃないですか。でも、今はLiveのような直感的に扱えるDAWがあるし、使い方が学べる丁寧なチュートリアル動画やミートアップのような機会もあったりする。わたし個人の話をすれば、そうした学びの機会を通じて、周りのDAWをやっている人により積極的に使い方を聞くようになりましたし、作業自体は部屋でひとり黙々とやっているんですけど、自分の音楽制作に他者を巻き込んでいいんだと思えるようになったことは大きくて、そういう機会を提供してもらっていることにいつも感謝しています。
文/インタビュー:小野田雄
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