「ローカル」とは?ハイパーコネクテッド・ワールドにおける音楽制作についての様々な視点
先日ベルリンにて開催されたLoopイベントでは、ミュージック・メイカーが世界各地から歴史的建造物Funkhausに集い、それぞれの体験を共有し、新しいアイデアやアプローチを検討しました。本サミットで提起および議論された未来志向のアイデアと奇抜な視点にとって、イベントのフォーマット自体、ミュージック・メイカーにとって同じ空間で同じ時間を過ごすことがわかり合える仲間と出会い、作品を共有し、時局を感じ取る唯一の方法だったかつての時代を思い起こさせるものでした。
これまでの世代は音楽とその制作者を様々な形態のメディア(レコード、テレビ、ラジオ、雑誌)を通じて発掘してきましたが、実際の音楽活動やその参加は極めて局地的なものでした。それはつまり、すぐそばの周辺環境外の誰かと音楽的に交流するには、他の人々が住む場所へ物理的に移動することを意味しました。インターネットは、人生におけるその他の様々な側面だけでなく、私たちが音楽に取り組む方法を変えました。
社会的な交流と音楽の消費の大半がオンラインで行われるようになった今、特定の環境や地域が音楽制作活動において今もなお果たす役割とは何でしょうか?
いろいろな意味で、気が遠くなるほど多様なスタイルやサウンドを瞬時に利用したり、世界各地の個人やシーンとつながったりコラボレートしたりできることは、驚くほどの利点と機会をミュージシャンやプロデューサーに提供します。しかし、Loopで催されたディスカッション、ワークショップ、その他の非公式会談では、出席者や参加者から繰り返し投げかけれた質問は、「新しいハイパーコネクテッド(インターネットにより緊密につながった)現実世界において失われてしまったのかもしれないものは何か?」というものでした。社会的な交流と音楽の消費の大半がオンラインで行われるようになった今、特定の環境や地域が音楽制作活動において今もなお果たす役割とは何でしょうか?
「ローカル」とは?
学術的な説明にはまり込むことは避けつつも、「ローカル」(地元)や「リージョン」(地域)という表現の意味について考察しておくことは有益かもしれません。音楽において、「ローカル」とは地理的空間(都市や地区)だけでなく共有されるその場所の社会的および文化的体験も指します。これらの体験は時間と共に蓄積されて伝統や文化特性を形成し、それは特定の場所、人、集団の音楽的アイデンティティの一部となります。一方「リージョン」とは、より広範な地理的空間(国や大陸の一部など)を指し、北米、南米、ポリネシアなどの音楽表現に見られる一連の共通特徴を形成する領域を指します。
音楽作りへの欲求は、様々な動機や衝動を呼び覚まします―その一部、あるいはそのほとんどが潜在意識下で生じるものです。このプロセスの一部は習得した技能を応用するという技術的な要素ですが、とはいえ、同じように重要なのは、プロデューサー/ミュージシャンとその仲間であるミュージック・メイカーの間、さらには作品を受け入れるパブリックとの間でなされる様々な対話や話し合いです。
シーンは大抵、志を同じくする者によるコミュニティとして生まれます―それは、特定の音楽上あるいは文化上の記号表現の使用に対する嗜好を示す場所に集まるアーティストによるグループです。インターネット以前、これはほぼ必ず実際の物理空間でした―街角、クラブ、レコード・ショップ、レコーディング・スタジオ、その他の社会交流の空間です。こういった空間でシーンが形成されると、それは、同人誌、専門雑誌、レーベル・リリース、地元のフェスティバル、ローカルまたは一部地域さらには全国レベルのラジオ放送など、口伝えかつ人間を介した配信網により外の世界へと広がっていったものでした。Loopのパネル・ディスカッションで、プロデューサーでありレーベル・オーナーでもあるCora Novoaは、彼女の地元バルセロナのエレクトロニック・ミュージック・シーンがいくつかの現地組織の努力により国際的な評価を得るようになったいきさつについて詳しく述べました。
孤独なプロデューサーとインターネット・コミュニティ
ライブ・パフォーマンスやクラブ・カルチャーにおける交流は別として、インターネットは上記の「シーン形成」の役割のほとんどを果たすことができるようになっています。多くの制作にとってこの結果は音楽制作を非常に孤独な活動にしています―私たちは大抵コンピューターの前で単独で音楽を作っています。しかし、Holly Herndonが指摘したとおり、パーソナル・コンピューターは音楽制作のツールであり、同時にソーシャル・ネットワークのツールでもあり、また音楽を体験し音楽に共感を覚えるためのパイプでもあるという事実は、これまで人間が使用したどの楽器よりも「ラップトップを最もインティメートな楽器」にしているのです。
オンラインに存在するありとあらゆるサブジャンルに特化した世界各地のコミュニティからサウンドやスタイルを発掘し、それと連動し、さらには再現または作成する方法は、無限に存在するように感じられます。ただしこれまでと異なるのは、ウェブベースのコミュニティ内でのジャンルの出現です。ヴェイパーウェイヴ(Vaporwave)は最近の一例です―異質な一連のアーティストを中心に構築されたシーンで、その芸術美とインスピレーションをインターネットそのものから得ています。
人々の孤立を生じさせるインターネットの影響について嘆く者がいる一方で、この新たなリスナー層への接近手段の解放が、若いミュージック・メイカーにとって新しい形態のクリエイティビティの出現を可能にしていることは明らかです。皮肉にも、政治には無関心な審美的なムーブメントにとって、ヴェイパーウェイヴ現象は、インターネットを民主化の推進力として見る初期のユートピア構想に大きく共鳴するものであり、パンク的反エリート主義の最新の反復であると論じることさえできるのです。
グローバル・コネクティビティとワールド・ミュージック2.0
ここ15年ほどの間、批評家たちはローカル・シーンの死を嘆き悲しんできました。会場、レコード店、レーベルのゆっくりとした衰退によるもので、この3つは、シアトルのグランジからロンドンのダブステップまで、多くの重要な若者ムーブメントの基本構成となっていました。これが推移し姿を変えるに従って、ローカル・シーンが共有してきた文化的記号表現はもはや特定の場所に縛られるものではないことも明白となりました。グローバリゼーションに直面し、文化コメンテーターたちは、世界各地の伝統音楽/ルーツ・ミュージックが永続的ではあるが周縁的な構造へとゲットー化している点、また同時に西洋文化外のミュージシャンたちに対してはそれぞれの「異質性」を守りそれに従うことが期待されている点を指摘しています。ムンバイを拠点に活動するプロデューサーSandunesことSanaya Ardeshirも同じように感じていると述べました。
インターネットが周囲とつながる私たちの能力を蝕んでおり、伝統文化の窮乏化をもたらしたという語り口は、地元の伝統音楽を避け、代わりにカニエ・ウェストやジェイ・Zなどの作品の制作テクニックの解読にひたすら努めるダカール、テヘラン、モンバサ、上海の若いプロデューサーたちのことが語られるにつれ、広く受け入れられるようになっています。現況についての悲観的な解釈に、音楽はサブジャンルやマイクロジャンルへと細分化されるようになっており、パンクやヒップホップ、テクノといった大規模な音楽ムーブメントはもう二度と出現しないであろうというものがあります。
後者についてはいくらか真実が含まれているかもしれませんが、前者については、「ワールド・ミュージック2.0」という概念が異議を唱えています。これは、多数のプロデューサーが現在活躍している現実を捉えようとする試みとしてライターでDJの(DJ Ruptureこと)Jace Claytonにより生み出された表現です。新著『Uproot』に関連した『Harvard Magazine』誌のインタビューで、Claytonはこれについて次のように説明しています。「安価なコンピューター、低価格あるいは海賊版のソフトウェアを利用でき、一方でYouTubeで世界各地の曲を、また一方で親が聴いていた曲や現地で一般的な曲を聴くことができるようになった世界各地の人々により生み出されたものです。こういったシチュエーション全てに応える形で音楽を作り、インターネットの膨大な広がりに溶け込んでいる、それがワールド・ミュージック2.0なのです」。
ローカル性と民俗伝統
現地の音について考えるとき、多くの場合、その土地の民俗伝統として確立された音楽が言及されます。これは、北アフリカや中東で用いられるウードなどの特定の楽器から、拍子やインドのタブラなどの音色まで様々です。こういった伝統音楽は現代の音楽において今でもある種の役割を果たしていますが、新たな作品作りの起点や反響を知るためのテスト手段として使用されることがますます増えています。自身が育ってきた文化背景の代弁者となることや、特別な親近感を感じる文化とつながることを目指すアーティストたちは、伝統を取り入れるための数々の手法を模索してきました。それは、異文化合作プロジェクトやハイブリッドな楽器構成から、より単純な素材のサンプリング/カット&ペーストまで様々です。
Bandish ProjektのMayur NarvekarがLoopで行ったCreative Exploration Through Percussionに関するプレゼンテーションはこういったテーマの多くを掘り下げたものとなっており、ルーツ・ミュージックと彼自身の関係が、テクノロジーそして結果として生まれる音楽と彼との関係といかに異なるものであるかについて説明しています。「ルーツ・ミュージックでは、競争はありません。テクノロジーはその逆で、ベストで、最新で、何かの頂点でいるために常に押したり引いたりの駆け引きです。私にとってルーツ・ミュージックは、共に成長した木のようなもの。いつまでも変わりません。木から学ぶことはできても、木が何か別のものになろうとすることはないのです」。
Bandish Projektはインドを拠点としていますが、Mayurは子供の頃学び始めたタブラの文化にどっぷり浸かって育ちました。Loopでのプレゼンテーションで彼は、彼にとってドラムは彼の周りのあらゆる場所で耳にする言語であり、独自のスタイルを加味することで、若い世代に伝えることができる文化となるのだと語りました。Mayurはそれを次のように説明しています。「私の音楽は文化の保護です―若い世代はルーツ・ミュージックを聴かないかもしれない。ですが、新たな形態で提示することで、若い世代の視点を変えることができます。文化を守っていくことが最も重要です。音楽が人々を新しい境地に導くのですから」。
エキゾチシズムとエンゲージメント
全てのプロジェクトがBandish Projektのように入念に考え抜かれ個人的体験に根付いたものである訳ではありません。コミュニティ/伝統に敬意を表して取り組むことと、エキゾチシズムや文化の盗用に陥ることとの違いは紙一重です。欧米のダンスフロアでのアフリカ音楽の人気は世界的なトレンドですが、ここにはこの難しい問題の両面が露呈されています。アフリカ生まれの作品やサウンドの凡庸で退屈なリエディットやサンプリングが長年にわたって垂れ流されている一方、数々のプロジェクト、コレクティブ、アーティストが現地の文化にユニークかつ敬意あるやり方で取り組む手法を見出しています。
Loopでは、南アフリカの認定トレーナーEmile Hoogenhoutが、Abletonでのエシカルなサンプリングとラック構築についてのワークショップを行いました。彼は、2016年に評価の高い一連のインストゥルメントを作成し、無償ダウンロードとして公開しています。Santuriインストゥルメントは、クリエイティブな試みとして、また忘れ去れた様々な東アフリカ地域の音楽に光を当てるために開発されました。さらに、こういった秘伝的なサウンドを地域(そしてそれ以外)のプロデューサーの手に委ねることで、それぞれのサウンドに新たな寿命を授けました―こうして、ケニアからベルリンまで様々なトラックでこれらのサウンドを耳にすることができるようになったのです。Loop 2016でEmileがプロジェクトとその動機について語る様子をご覧ください。
サウンドとソース
ここまで論じてきたように、ミュージシャンとプロデューサが局地的な音楽表現やスタイルに取り組む方法のひとつは、サンプルを抽出して作品に使用し、トラックに特定のコンテキストでテクスチャ、エッジ、重みを加えることです。もちろんこのプロセスはある特定のメッセージを含むアートを生み出す目的で使用されることもあります。デヴィッド・バーンとブライアン・イーノが1981年に発表した独創性に富むアルバム『My Life In The Bush of Ghosts』はまさにその好例です。作品としても傑作で、サンプルベースの制作の初期の例でもあるこのアルバムは、世界中の音楽と音を幻覚を起こさせる万華鏡のようにまとめ上げています。
長年にわたって、『...Bush of Ghosts』は、その後を予言するような先駆性で熱狂的な愛好者による称賛を受け、同時に、宗教的な素材や記号表現を文化的根拠を欠いた単なる音源として扱っていると、学界からは問題として取り上げられてきました。周知の通り、トラック『‘Qu’ran』は、アルジェリアのイマームによる祈りのかけ声を全く関連のない世俗的な音楽要素と組み合わせて使用したことに反発が生じる可能性に配慮し、初回盤発売後、アルバムから削除されました。
宗教的論争はさておき、こういったサンプル・コラージュへの態度は、芸術的観点から見ると非常に興味深いものであり、Simon Reynoldsが語った内容ともつながっています。彼は次のように説明しています。「擬似イベントをタイムワーピングする―かつてはこんなことは絶対に不可能でした。異なる音響空間とレコーディングの雰囲気を強制的に隣り合わせる。存在の基本原理の脱構築と呼んでもよいでしょう。これはある種のタイムトラベル、降霊術なのです」。このようにすれば、局地的な文脈や文化から音源を取り除くことは、クリエイティブな行為となるのです。ですが、(特にそのサウンドが抑圧されたあるいは社会の隅に追いやられた人々を起源とするものである場合、)意図された意味の一部または全てを剥ぎ取る方法でサウンドを使用することが倫理的に責任ある行為であるかどうかという問題については、まだ議論の余地のあるところです。
文化遺産を保護しギャップを埋める
伝統音楽の衰退は単なる理論上の概念ではなく、多くの場所では急を要する現実でもあります。様々なメディアに録音された膨大なアーカイブを保管している国はたくさんあります。こういったメディアは、特定の音楽への具体的なつながりを残す唯一のものとして存在しています。たとえばタンザニアでは、国営放送局Radio Tanzaniaで保管されているオープンリールは強烈な暑さと湿度により劣化が進み、政府や文化機関によるこの問題に取り組むための本格的な計画もないままとなっています。このアーカイブのほとんどはタンザニアに存在する120の部族のうち一部の録音のみとなっており、これらは独立後のジュリウス・ニエレレ大統領の時代にこつこつと記録されたものです。
他の国々では文化遺産の保存が首尾良く実行されています(大英図書館は先日ギニアの約8,000点の録音物を公開しましたが、これはひとりの献身的な古記録保管係の称賛すべき忍耐によるものです)が、つながりや結びつきを築くための一層の努力なく、こういったアーカイブと現代のアーティストが関連性を維持することができるのかどうかは疑問の残るところです。オンライン・アーカイブを探し回ることは、熱心な研究者やミュージシャンにとって珠玉のオーディオの発掘につながるかもしれませんが、真のつながりは、特定の芸術的なコラボレーションによって生まれるものです。
2012年、イギリスのプロデューサーであるQuanticことWill HollandとFrente CumberioのMario Galeano Toroはチームを組み、コロンビア・クンビアの名作の一部を再録音しました―その多くは、全盛期以降人知れぬ状態となっていました。結果として生まれたプロジェクトOndatropicaでは、このジャンルに新たな命を吹き込む様々な音楽的影響が用いられており、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブとキューバに似た注目がこの地域に向けられることとなりました。このプロジェクトは、コロンビア・クンビアのトローペを敬意を持って扱いつつ、そのサウンドをいくつかの新たな方向へと広げていると称賛されており、プロジェクトはその後もリリースを重ねています。
聴くのはローカルに、制作はグローバルに
Loopでのディスカッションに話を戻しましょう。ドキュメンタリー・シリーズ『Searching for Sound』に参加したアーティストが皆、それぞれの体験から各自の作品に対する新しい視点を得たことは興味深いことでした。このシリーズは、3名の新進エレクトロニック・ミュージック・プロデューサー(インド、ロシア、コロンビア)が生まれ育った場所やその周辺地域を探索し録音する姿を追っています。あらゆる意味で3名とも伝統主義者ではありませんが、より深く、より親密に耳を傾けることで、それぞれの地域の音の世界と音楽的伝統により深いつながりが感じられたようです。SandunesことSanaya Ardeshirは、この抽象的な感覚は彼女の音楽制作プロセスと展望に非常に現実的な方法で影響を与え、それらをさらに豊かなものに変えたと語っています。