音楽と音楽技術の発展にあわせて、音楽と音楽関連学科を教える機関も進化を遂げてきました。しかし、学界における発展のペースは、「リアルな」世界の変化に後れを取りがちです。音楽院や音楽学校は、その方法論やコンセプトを、技術的に可能となった音楽制作の新たな現実に不承不承に適合させるに留まっています。
この傾向に断固として抵抗する教育機関のひとつが、バークリー音楽大学の エレクトロニック・プロダクション・デザイン(EPD)学科です。熟練の教育者でありミュージシャンの Michael Bieryloが率いるEPDプログラムでは、パフォーマンス、作曲、オーケストレーション技術の習得がコンピューター、シンセシス、マルチメディア技術に組み合わせられています。今日の学生向けのカリキュラム・デザインにおける課題、教育と音楽の枠組みの変化のまっただ中で方向性を保つことについて、Michael Bieryloに話を聞きました。
ラップトップが楽器としてある程度の市民権を得るようになりましたが、この変化はバークリーのEPDプログラムにどのような影響を与えていますか?
ラップトップを楽器として捉える考えはバークレーでも非常にホットな話題となっており、それがどんなことを意味するのか、定義を試みているところです。教育機関という枠組みで言えば、実質問題として、たとえばラップトップ・ミュージシャンの実技審査をどうするのか、というようなことになります。技能をどのように評価するのか、またどのように熟練度を高めるのか?課題曲は何になるのか?といったことです。ただ、ラップトップをピアノやバイオリンといったより伝統的な楽器のように考えると、うまく整合しません。結局のところ、何が楽器なのかという認識を新たにする必要がありますが、意味論の堂々巡りとなりかねません。
私は、いくつかの基本的な考えにたどり着くに至りました。
- コンピューターは、音楽を学び、新しい音楽のアイデアを発展させるツールとして、ピアノに代わる標準となりつつある。あらゆる音が音楽となり得るというアイデアを考察する場合、もはやピアノは、音楽における標準点としての期待に応えるものでない。
- コンピューター単体では楽器と成り得ない。ソフトウェアとハードウェア・コントローラーにより、楽器と成り得るシステムを形成することができる。コンピューターは、非常に汎用な装置で、楽器を組み立てるプラットフォームとして機能する。
- 楽器のデザインは、パフォーマンスの一部である。誰もが独自のシステムをデザインするため、個々のパフォーマーと一緒に新たな学習手法が発展する。ある意味、特定の練習曲を弾けるようになるようギターを練習するというより、作曲家/演奏者が想像するサウンドや表現行為を生成する楽器をデザインするようなものである。
EPDは1980年代後半からバークリーで開講されていますが、当時はミュージック・シンセシス科という名前でした。バークリーはおそらく、電子楽器にフォーカスを当てた専攻を提供した初の音楽大学です。
よりトラディショナルな楽器や作曲に対する学生の興味が高まっていると感じますか?コンピューターを楽器として学ぶことは、伝統的な楽器を習得したミュージシャンにとって、概して音と音楽をより深く学ぶことの助けになると思いますか?
通常、従来の楽器を学んだ学生は、コンピューターでの音楽制作経験もある程度ありますが、本人たちには技術に詳しいとの自覚はないようです。音楽について学ぶ目的での学生たちのテクノロジーへの関わりには3段階あると思います。
バークリーの学生がラップトップを使用し始めたとき、まず彼らは音楽をPDFで読むのに使用し始めました。どの合奏室にも、リード・シートが表示されたラップトップが置かれています。YouTubeで練習したい曲を検索すれば、どんな種類の曲も見つけることができます。多くの場合、演奏方法を教授するレッスンさえあるのです。そういう意味で、コンピューターは、主な伝統的楽器でのより豊かな体験を学生たちに提供していると思います。これは、テクノロジーを日々の学習に使用している他の分野とほとんど変わりません。
学生たちは、エレクトロニックであろうとアコースティックであろうと、自分たちの作りたい音楽を制作する手段においてコンピューターが大きな役割を果たすということをより意識するようになるにつれ、制作プロセスを意識するようになりました。バークリーの学生にとって、「チーム論文」が曲であることはよくあることです。自らの音楽アイデアを制作することができる能力は、そのアイデアを共有し、コミュニケートするために不可欠です。 制作は繊細かつ洗練された作曲プロセスの一部であり、私たちはこの進化を評価し、興味深く見守っています。
ピアノのレッスンでLFOをテンポに同期させる方法を学ぶことはありませんが、今日の音楽制作において、これは不可欠なスキルです。
伝統的編曲においては、ロー・インターバル・リミットといって、この限界を超えると音の濁りが生じるという考えがあります。制作では、低音域において特定の音のまとまりでなぜサウンドが「濁る」のかについて議論します。サウンドと制作に関する知識を必要とするいろいろなアイデアや異なるアプローチについて話し合うのです。
エレクトロニック・サウンドと音楽のアイデアを信奉する学生には、より深いレベルへと到達する者がいます。音楽表現のひとつであり、制作に特殊な技術スキルが必要とされる、エレクトロニックならではの音楽テクニックや効果―ウォブル、ドロップなど―には、ありとあらゆる種類があります。ピアノのレッスンでLFOをテンポに同期させる方法を学ぶことはありませんが、今日の音楽制作において、これは不可欠なスキルです。つまり、あらゆる種類の音楽装置が楽器の一部となり、サウンドとテクノロジーの深い理解が、単に技術エリートにとってだけでなく、より一般的なミュージシャンにとっても重要なものとなったのです。
音楽教育の多くはメロディ、ハーモニー、リズムに焦点を置いていますが、形態の要素は、以前よりも重要な部分となっています。西洋音楽の伝統はメロディやハーモニーに、アフロカリビアンはリズムに焦点を置いていますが、現在のDJカルチャーや音楽は形態を扱っています。作曲家は一般的にリスナーを導く音楽体験を作り出しますが、DJはオーディエンスに呼応して音楽体験を作り出します。これは教えるのが困難ですが、現在の音楽において重要な部分です。
独自の楽器を作り上げることは、作曲やパフォーマンスについて独自の思考を構築する上で重要な進化だと思います。楽器構築のプロセスについて、どのようなガイダンスと教授を行っていますか?また、そこからどのような結果が生まれていますか?
ひとつ覚えておいていただきたいのは、私が持つ印象は必ずしもバークリーの主要カリキュラムの一部とは限らない点です。
楽器の構築には、サウンド・デザインの要素と、インタラクティブなパフォーマンスの要素があります。サウンド・デザインでは、音楽的機能について、音楽におけるサウンドの機能について議論します。この議論は、メロディ、ベース、伴奏という伝統的な概念を中心に展開することも、リズム単位で音色が変化するサウンドについてなど抽象的な機能を中心に展開することもあります。
EPD学科は30年前にミュージック・シンセシス科としてスタートしましたが、シンセサイザーの研究に学位を与えた世界初のプログラムでした。私たちは、シンセサイザー・パッチをデザインすることは、楽器をデザインすることと同じだと考えています。ある意味、楽器をミクロ・レベルで考えた、多数あるさまざまな組み合わせのひとつです。ラップトップを使用する場合、それだけではなく、マクロ・レベルでの合奏デザインも行えます。ひとつのサウンドをコントロールするに留まらず、ピッチ、音色、ラウドネス、リズムなどサウンド間の相互作用をあらゆるレベルにおいてコントロールします。
デザインする楽器が汎用なもの、つまりさまざまな場において機能するツールなのか、または特定な目的を持つもの、つまり特定の作品やイベントに対してデザインされたものなのか、という問題もあります。モジュラー・シンセ・システムでは、通常、特定のパフォーマンスに対してパッチをデザインします。ラップトップ楽器では、さまざまなパフォーマンスに対して機能するテンプレートをデザインすることができます。それぞれ、デザインを考える上で異なるアプローチが必要となります。
作曲家は一般的にリスナーを導く音楽体験を作り出しますが、DJはオーディエンスに呼応して音楽体験を作り出します。これは教えるのが困難ですが、現在の音楽において重要な部分です。
先ほど、「もはやピアノは、音楽における標準点としての期待に応えるものでない」とのお話がありましたが、音楽教育機関はこの変化にどのように対応していますか?また、教育機関がこのパラダイム・シフトに後れを取っているとするならば、どのような問題があるでしょうか?音楽についての偏狭な理解を吹き込むというリスクを冒しているのでしょうか?
こういったことの多くは、個々の機関の展望に関係があります。音楽学校や教育機関には、教育の評価基準として機能する合意規範があります。この規範が発展する可能性はありますが、その速度はゆっくりです。研究機関は新しいアイデアを発展させることができますが、こういった機関で教えられるのは、通常、研究の手法に関することです。音楽関連技術の博士号取得者で教職のポジションを探している者はたくさんいますが、履歴書に書かれている経歴は論文やカンファレンスでの演奏がほとんどで、商業リリースに関するものはありません。つまり、ミュージシャンが実際に行っていること、この分野において研究されていること、そして規範との間にはギャップがあります。これはあらゆる教育が直面している構造的問題ですが、分野によって状況は多少異なります。医学やビジネスの分野では、これらのギャップを埋めることは生き残りのために不可欠です。アートの分野ではそうとは限りませんが、教育コストが飛躍的に高騰する中、ほとんどのアート系教育機関にとってもこの重要性は高まるでしょう。
バークリーは、その時々の音楽を通じて音楽を教授するというアイデアに基づいて設立されましたが、実際には、それは口で言うほど簡単なことではありません。バークリーでエレクトリック・ベースが専攻楽器として認められるのに、25年かかりました。(ジュリアードや他の音楽機関ほどではないにしろ)ターンテーブルのコースを設立するのにも、25年かかっています。それを考慮すれば、ラップトップやモバイル機器が楽器としてある程度認められるには、2025年を待たないといけない計算になります。もちろん、急いではいますが…。
ここで示唆されている問題や議論は、EPD学科で私たちが積極的に考察を行っている部分であり、私たちが学生に提供すべきと考える教えを明確に示すものとなっています。重要な問いがここには含まれているのです。
バークリーのEPD学科についてさらに詳しく