「演奏している人が天才だ」と言って、力強いライブショーについて語る人は多い。 しかしLafawndahに関して言うなら、この言葉では足りず、十分な評価を表していない。 ステージに対する彼女のアプローチやそこで繰り広げられることを端的に表すのは、“批評的”という言葉だろう。彼女は一定の疑念を持ってパフォーマンスという行為全体をとらえ、パフォーマンスの慣習をそのまま受け入れることを拒絶する。 ただし、シンガーのライブショーはある程度自然発生的なものとして思われることが多く、このように批評的な考えると何もできなくなってしまうと思う人がいるかもしれない。 しかし、その真逆の場合があることを示しているのが、LoopでLafawndahが行った実演解説だ。このとき、アーティストが全身全霊で身体的に圧倒する魅力的なパフォーマンスを行ったあと、そのパフォーマンスをどのように行ったのか、なぜそうしたのかについて彼女とバンドメンバーが詳しく説明している。
Lafawndah:アーティストと観客の距離を縮める
Yasmin DuBoisことLafawndahは、役に立たない定説、精査されていない慣例、魅力に欠ける補足情報など、自身の活動の周囲にある慣習に対して好奇心を持つことが自身の表現を成功させる重要な要因であることを実証している。 一度はステージに立った経験があり、「自分はこんなところでいったい何をやっているんだ?」と狼狽したことがある人、あるいは暗闇で客席に座りながら「舞台上にいるあいつは何をやっているんだ?」と考えたことがある人にとって、彼女のこうした考えは励みや刺激になるはずだ。Lafawndahが示しているように、この両方には考えるだけの価値があり、その答えは簡単に導き出せるものではない。 これまで、舞台上のパフォーマーと客席にいる観客の関係にはどこか奇妙なものがつきまとってきた。階級、金銭、権力についてLafawndahと同じくらい思考をめぐらせ、そして歌にするアーティストなら、コンサートでどのように人を配置するかは常に疑問を提起するトピックだった。
「パフォーマンスでの空間の使い方って、すごく一方向でしょ」と彼女は話す。 「“この空間”を使えるはずなの」と言って彼女が手ぶりで示す“この空間”とは、まだ見ぬ膨大な可能性が詰まった空間のことだ(彼女のライブショーで作り上げた形態のことを話していたわけではない)。空間内には無数に考慮する点があり、人、音、建築構造の構成は無数にあるにもかかわらず、たったひとつに切り詰められている。つまり、ステージにパフォーマーがいて、その前に整然と並んだ人々が立ったり座っている構成だ。
どうやら、この構成が存在するからこそ、そこから外れていこうとする行為が生じているようだ。 Jim JarmuschがThe Stoogesを追った最近のドキュメンタリーでは、Iggy Popがステージダイブをいかにして考案したかというストーリーを語っている。その背後にある衝動を表現する言葉は、Lafawndahの使う言葉と非常に似ており、空間を超越して分断をつなぎ合わせ、壮大な光景を生み出す以上のことを観客のためにやろうという思いがある。 しかし、ステージダイブそのものがひとつの慣習と化してしまって久しい。まるで、劇場やコンサートホールの空間を使ってできないことをすべて象徴しているかのようだ。
DJカルチャーは、ヒエラルキーのない新しいパフォーマンス空間の到来を告げるものだった。誰もがパフォーマーであり、観客そのものが、自分たちの見たい壮大な光景になったことで、それまでの分断をなきものにした。DJカルチャーの大部分はこの性質を有している。 しかし時々あるように、ディスコからEDMにいたるさまざまなダンスミュージック・ジャンルから“スター”が生まれると、彼らのパフォーマンスはLafawndahの言う「デフォルト状態」へとあっという間に退行するのが実情だ。 近年の音楽史を見まわしてみると、おなじみのパターンが浮かびあがってくる。パフォーマンス、アンチパフォーマンス、インスタレーション、パーティー、ハプニング、集団幻覚などで、アーティストや観客が斬新なあり方を模索してはみるものの、結局は標準的な枠組みに収まってしまうのだ。 「わたしはそういうものじゃ満足できない。そういう紋切り型のパフォーマンスでは観客を満足させてあげられないと思うし」と語るLafawndahは、アーティストと観客のやりとりの可能性が見落とされていると指摘する。標準的な公演の一方向な性質は、“単一の送り手と多数の受け手”という直線的な伝達モデルに基づいていて、最初からこの可能性を除外しているように見える。
ライブショーにおける理想のあり方について、彼女はモロッコのフォークグループNass El-Ghiwaneを題材にしたドキュメンタリー映画『Transes』を引き合いに出す。具体的には、群衆の中でこのバンドが詠唱のような音楽を演奏し、バンドも観客もそこらじゅうで奔放に入り乱れながらダンスしているシーンだ。 同ドキュメンタリーで描かれているのは、こうした機会をつうじてNass El-Ghiwaneが音楽レベルと社会全体の両方で1970年代のモロッコに変革をもたらす役割を果たすようになった経緯だ。 LafawndahはまさにNass El-Ghiwaneのような存在になりたいと考えている。つまり、シンガーとプレイヤーが集合的エネルギーを引きつけて、真の変化を起こす媒介となることだ。 劇場の構造では、彼女が不満に感じるのも当然だ。 「こちら側とあちら側という隔たりが存在するの」と語る彼女だが、それが「2018年のロサンゼルス」と「1973年のモロッコ」の隔たりなのか、「ステージにいるわたしと観客の中にいるあなた」の隔たりなのか、もしくは「アートと日常生活」の隔たりなのかは断言できない。彼女は「こちら側とあちら側の隔たりを縮める方法としてのパフォーマンスを考えて、できるだけのことを試している」と続ける。では、どんなことをしているのだろうか?
「ステージと観客席をなくして、仕切りや障害物などが一切ないひとつの空間にするの。すると、観客と壮大な光景の間と、演じる側と見る側の間で直接的なコミュニケーションがあらためてできあがる。見る側が出来事の真っ只中に置かれて、そこに飲み込まれて、身体が突き動かされるの」
シュールレアリスム運動から除名され、一時は俳優としても活動したAntonin Artaudが1938年に著した『The Theatre and its Double(演劇とその分身)』は、ヨーロッパ演劇の旧態に終止符を打ち、文、会話、役柄を強調したヨーロッパ演劇を、Artaudの称する「残酷演劇(theatre of cruelty)」に置き換えることを提起した。残酷演劇は、ノイズ、声の表現、身体の暴力的な動き、過激な音と照明を組み合わせて身体と精神の両面で完全に巻き込む演劇を創出しようとするものだ。 Cobina Gillitの要約によると、Artaudが提起する劇場像は“現実”の世界から切り離された娯楽活動を志向していたわけではないという。現実の世界では、見えざる第4の壁の向こう側で幻想の世界が成立する。 その代わりにArtaudが志向していたのは、演者と観客によって共有され、真実を表出させることができるパフォーマンス空間での演劇だった。先に挙げた『The Theatre and Its Double』の中で、Artaudは「演劇は生活と対等なものにすべきだ」と記している。マニフェストを記すきっかけになったのは、1931年のパリ植民地博覧会への訪問だった。来場者に植民地での生活の一端を覗かせるものだと称していたが、その名が示すとおり当時のヨーロッパ諸国が特別に設計したパビリオンで大いなる帝国の戦利品を披露する博覧会だった。 オランダ領東インドのパビリオンで、Artaudはガムランをともなうバリ舞踊の神聖と世俗の両面を目にした。 ここで、Artaudはヨーロッパ的な劇場へのアンチテーゼとその病理への治療法を発見したとしている。 そこで彼は思った。パフォーマンスが儀式だと。純粋な所作と音、そして色彩が結合した恍惚なのだと。 そこは彼の理想だった。芸術と現実。こちら側とあちら側。隔てるものは何もなく、ひとつなのだ。
Artaudの本を読むのは、LoopでのLafawndahのパフォーマンスとマニフェストを耳にしたあとだと興味深い。 彼女のショーは、Artaudの予言を実現しているかのように、照明、コスチューム、過激なボーカルサウンド、そしておびただしいドラムが飛び交う一方で、 ふたりには80年近い時間の隔たりがありながら、パフォーマンスの現状へ向けられた両者の批評性は近似した道筋をたどり、同様の結論に到達している。 80年もの時間が経過しながら、状況はほとんど変化していない(あるいはそのように見える)。だが、それは試行が不足していたからではない。 パフォーマンス空間におけるマジック、儀式性、カタルシス、演者と観客のつながりはどこにあるというのだろう? なぜ芸術と生活の間には隔たりがあり、なぜこの隔たりは今なお探求の対象になっているのか? ただし、ふたりの類似点は顕著であるものの、相違点はさらにはっきりしている。 重要となるのは、やはり各自の背景だ。フランスの詩人/俳優であったArtaudは、Eric Hobsbawmが定義するところの“帝国の時代”が没落する時期に活動した。 そもそも彼がバリのガムランを目にし、その演奏を耳にすることになった背景は、当時のバリがオランダ東インド会社の植民地であったからだ。オランダ東インド会社はバリの音楽家やダンサーたちに地球半周分もの距離を移動させ、退屈した観光客たちを楽しませるためのいわば“博物館の生きた展示物”として彼らを組み込んだ。 Artaudは彼の同世代の人々と同じく、当時のヨーロッパの文化は病に冒され堕落していると考え、その文化圏を超えたところで復活や刷新を目指していた。そして、そのときの植民地主義が、貿易網、移動網、伝達網によって、東洋の新鮮なアイデアによって彼を救済しにきたのだった。
Artaudとは対照的に、Lafawndahはイランとエジプトの血を引き、パリに暮らすひとりの女性だ。 フランスやイギリス、オランダが帝国主義を放棄したずっと後の時代に彼女は生まれたが、帝国主義が残した影に世界が引き続き対処する時代に生まれたともいえる。 別の言い方をすれば、彼女は西洋文化に対する(Edward Said が言うところの)ポストコロニアル的な回答なのだ。 「エキゾティシズム的なところから来ているわけではないの。 わたしは非西洋の音楽を聞きながら育ったし。だから、わたしにとってはポップミュージックこそがエキゾチックなものだった」と彼女はDazedに語っている。そのため、彼女のタイムラインに対する視点は他の人々が見てきたそれとは大いに異なっている。 Artaudの創案ならびに彼の多くの信奉者たちは、モダニズムの歴史、あるいはHarold Rosenbergの有名な言葉を借りれば“新しいものの伝統”を求めてきた。 同様に、“こちら側とあちら側”の間に横たわる障壁を打破しようと繰り返し希求してきた戦後のポップミュージック形式の数々は、一連の発明として定義づけられてきた。 Lafawndahはそれらとは別の視点を示唆する。 「音楽の歴史を考えるとき、西洋を中心に視点を広げるし、過去30年を軸に考えようとするわ。それと音楽の機能はかなり違う」と彼女は話す。もっと長期的でちゃんとした世界的視野で音楽パフォーマンスを見ればすぐわかるのだが、西洋的な芸術音楽の設定(アーティストがステージ上に位置し、観客が客席に座り、パフォーマンス中に話したり食べたりすることが禁じられている)は、Artaud、Yoko Ono、Iggy Pop、Yves Tumour、Lucrecia Dalt、そしてLafawndahが逸脱や創案によって距離を置いてきた伝統ではない。 むしろ、西洋的な芸術音楽の設定のほうが歴史的に珍しいものだ。中流ライフスタイルに付随するように考案され、中流ライフスタイルと同様、どういうわけか永遠の真理であるかのように組み込まれ、そこから過去と未来へ無限に拡張している。 「ただ劇場に座っているだけでカタルシスを体験できる可能性は……」と言ってLafawndahは、ふたたび手ぶりで空間の輪郭を表現する「ゼロに等しいわ」
これらすべてを念頭に置けば、“いかにパフォーマンスするか”という疑問を新たな視点から見ることができる。 ステージに立ったときに、一定の居心地の悪さや疎外感を覚えることや、一体感や集団での喜びに欠けると思うことがあったり、“上にいるこちら側と下にいるあちら側”の間に、一見、埋められそうもない隔たりを感じることがあったりする場合、それは完全に自分のせいであるわけではないし、ステージ設営や技術によって容易に解消できるものではない。 我々がステージで取り扱う状況とは歴史的なプロセスの産物であり、そのプロセスはまるで自然活動のように長い時間をかけ、徐々に起こってきたものである。 だが、“より良いものにできるはずだ”という感触は、広くみたときに欠落しているものを知る手がかりになる。それは、パフォーマンスだけでなく、日常生活においても欠落しているものだ。ステージ上で(もしくは観客側で)違和感を覚えたなら、この点では良いことになるだろう。 2世紀にもわたる文化と帝国主義の影響をそうやって消失させることはできないとはいえ、空間でいろいろと試し、新たな関係性を模索し、慣習を覆すことは可能だ。アーティストや観客が一丸となって作りだす集団の喜びはLive Nationが考えるよりもはるかに大きなものなのだと思い出すために。一緒にいる方法、一緒に聞き方法、一緒に感じる方法など、新しい可能性があることをみんなで知るために。言葉、イメージ、音、そしてパフォーマンスの方法そのものを使って、ステージでのLafawndahと同じような疑問を投げかけられるように。パフォーマンスの慣習そのものだけでなく、最終的に因習的になる慣習を生み出す社会と文化を問いただすために。 このなかで、“こちら側とあちら側”の間と“生活と芸術”の間で丁寧に保護されてきた障壁が決定的な役割を果たしているのだ。
「芸術は常に俗世間の出来事とは異なるものであり続けてきたが、今やそれらすべてをあいまいなものするために懸命に取り組むべきなのだ」 Allan Kaprow
Artaudは、あの博覧会で目にしたものの文脈と、パフォーマーたちの歌や会話で使われる言葉のどちらも理解していなかったが、とても想像力に富んだ誤解でバリのパフォーマンスに関する主張を構築し、のちにRustom Bharuchaから「史上屈指の魅惑的な東洋演劇フィクション」と評される作品を制作した。ところが、Artaudの空想はやがて一種の芸術的事実として成立することになり、パフォーマンスアートからクラシックロック、フルクサスからノイズにいたるまで、アート、詩、演劇、音楽のあらゆる系統とサブジャンルで、1931年のあの日にArtaudが目にして思ったことに(もしくは彼の本を1958年にMary Caroline Richardsが英訳した名著に)端緒を発見できる。そして、芸術と現実の隔たりを縮めようとするそれ以降の数多の試みは、“聖人Artaud”の影響下で起こってきたように思える。かつて彼をこのニックネームで呼んでいたのがSusan Sontagだ。 近代アメリカを代表するリベラル派知識人であるSontagは1960年代に“ハプニング”と呼ばれる新たな芸術形式の登場を記録した最初のひとりで、彼女はハプニングをArtaudが夢想した理想の舞台を最良のかたちで実現したものと捉えていた。 芸術家Allan Kaprowが1966年に著した『Assemblage, Environments & Happenings(アッサンブラージュ、環境芸術、ハプニング)』の中で「観客は取り除かれなければならない」と書いたが、Kaprowはこの声明が示唆するような狂信者でもなければテロリストや大悪人でもなく、ひとつのマニフェストを書きあげた元モダニスト画家だった。 それでも、当時彼の言葉は一部の人々をやや動揺させたにちがいない。 SontagはKaprowのハプニングに参加した翌年、 「そのイベントは観客をからかい、嫌がらせをするために意図されているように見えた」と書いた。そのハプニングは、まず観衆を小さな箱に追いやり、そして1台の芝刈り機で追いかけまわすというものだった。 しかし、このハプニングの核心は観客そのものを攻撃することではなく、アートイベントで分離された区分としての“観客”を攻撃して破壊することにあった。 ハプニングにおいて人々を挑発し混乱させることによって、KaprowをはじめYoko OnoやCarolee Schneemanといったハプニングの創始者たちは観客とアーティストの間にある境界線をあいまいにし、最終的には消去したいと望んでいた。
Loopに登場する数か月前、Lafawndahはトロントのショーで独自のハプニングを計画した。 公演の数日前、彼女はトロントに住む地元の人々(「アーティストではない、ごく普通の人たちよ!」と彼女は語っている)と会い、彼女のショーに参加させるべく招待した。ダンサーやシンガー、はたまた演奏者ではなく、ある小さな革命のための触媒として。 彼女は彼らにいったいどのようなことを依頼したのだろう? 「彼ら自身で想像してもらうために招待したの」と彼女は語る。 Lafawndahの説明によれば、人間との接触を行うミッションを持った訪問者として考えることが彼らのタスクだったという。 ショーが中盤に入ると、バンドは演奏を止め、ごく普通の見知らぬ人たちがステージに現れ、観客たちの間へ散らばっていき、声をかけたり身ぶりをしたり、話を聞かせてダンスしたり踊ったりした。そのことを「つながっていった」とLafawndahは表現する。 「一種のセラピーのようなものになっていった。あっという間に観客の中へ深く入りこんでいったの」。 しかし、このような現象は起こるのは、観客側の人々が普段の観客像を捨てるか拒絶することで、パフォーマンスに対する固定観念を放棄して広大な可能性を受け入れる場合だけだ。 この点において、観客たちの最初のリアクションは極めて重要だった。 バンドメンバーで共同プロデューサーを務めるNick Weissは「観客は『コンサートは中断しちゃったの?』という感じだったよ」と笑いながら語る。 コンサートが中断したわけではないだろう。しかし、そこにはもはやコンサートは存在していないのかもしれない。
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