2017年、Kassa Overallはふたつの世界で板挟みになっていた。 片方の世界では、彼は多作のジャズドラマーで、Elvin JonesやBilly Hartの指導をうけ、Geri Allen、Vijay Iyer、Terri Lyne Carringtonらとのセッションワークで知られていた。 もう片方の世界での彼は、Das RacistやKool A.Dと密接な関係にあるオルタナティブラッパーで、マカロニチーズに捧げた“Mac and Cheese”を書いていた。 「ライブをやったら、ラップで俺のことを知っている人たちが来てくれてたんだけど、会場に着いたら、スーツを着ている俺がいるっていう」と、彼はニューヨークの住居からZoomで説明する。 「そしたらみんなは、『おお、ドープじゃん。 でも、こんなことやってるって知らなかったよ!』みたいな。逆もあって、ドラムを演奏している俺を見ていた人が、インターネットで俺をチェックしたら、俺が草吸って暴言吐いてる。 どっちの俺も、偽っているわけじゃないよ。 このふたつの間にはがっつり隔たりがあって、それが自分のクリエイティブなキャリアの流れを遮ってるっていうのはわかってた」
「なんていうか、『あぁ、1個にまとめなきゃな』って感じだった」
Gil Evansは、かつて次のように語っている。「ジャズは常に時代のリズムを用いてきた。 人気のリズムをジャズが用いるのは目新しいことではない。それこそが、ジャズが使ってきた唯一のリズムだ」。Overallのアーティストとしての野心が高まるにつれ、現代のヒップホップで人気のリズムが、彼のふたつの音楽的アイデンティティをつなぐ手段となった。 「ブルックリンのC'mon Everybodyでライブをやったことがあって、 ソロライブでドラムだったんだけど、 Ableton Liveもあったんだ。 パッドにループを置くとか、そういうことをやった。 全部をひとつに混ぜたのは、そのときが初めてで、 未来の楽器を持ってるみたいな感じだった。それで、ドラムが鳴るのに合わせて未来のラップをやった。 あと、なんかジャズの曲にアカペラでラップをのせたね。 そういうちょっとした実験をやったんだ。 どーんとドラムのソロも使ったし、 少しラップもしたし、 電子音も入れた。 そしたら、ライブに来てくれてた連中が、『おお、これこれ。これぞおまえだ!』みたいになってた」
アーティストとしてのこのアプローチをOverallが回顧したのが、2018年にリリースした 『Drake It Till You Make』だ。同作でOverallは、Drake、Snoop Dogg、Kanye Westの曲をカバーし、ジャズのドラムブレイクやホーンのソロを散りばめ、それをオルタナティブラップの感性とつなぎ合わせている。 ヒップホップでとくに人気のあるアーティストの曲、つまり「時代のリズム」を活かして、ふたつの音楽世界の間にある隔たりを取り払い、自身のサウンドにとって新しい未来を創造してみせたのだ。
ジャズとヒップホップのユニークな融合をさらに発展させたのが、2019年の『Go Get Ice Cream And Listen To Jazz』と2020年の『I Think I’m Good』だ。 両アルバムでは、ある作曲アプローチが取られている。Overall曰く「ダブがかったバックパック・ジャズ」だというそのアプローチは、ニューヨークの良質なプレイヤーとのジャムセッションにあるのびのびとした性質を、モダンなヒップホップのビートメイクのようにサンプルを主体にしてハイペースで制作して表現するというものだ。 マイク、オーディオインターフェース、ヘッドフォン、そしてLiveを実行するラップトップを携えたOverallは、街中をサイクリングしながら、友人の演奏を彼らの自宅で採集したという。 「Sullivan FortnerがリビングにSteinwayを置いていて、俺は直でその上にマイクを置いた」そうだ。
今回はそんなOverallに、ジャズ、ヒップホップ、IDMの境界線を曖昧にするマルチ奏者として、音楽制作に対するアプローチを語ってもらっている。 インタビューでは、レコーディングの手法、楽曲をライブパフォーマンス用に作り変える方法、そして彼の音楽におけるエレクトロニックとアコースティックの要素の関係に対する見解が明かされることになった。
まず、演奏者としての活動について聞いていきたいんですが、 このインタビューの準備をしているときに、活動に関するプレスリリースをたくさん目にしました。 普段、ドラマーやMCっていう説明に続いて、いつも3つ目に“ラップトップ・アーティスト”みたいに言われているんですね。
そうなんだよ。 最悪だよね。
もしくは、“電子音のスペシャリスト”とか。これもしっくりこないですけど。
おかしいよね。 実は、Jazz Journalist Awardsで電子音スペシャリスト賞をもらったばっかなんだよね。 だから、俺はいまのところ電子音のスペシャリストだよ。
『SHADES OF FLU 2: IN THESE ODD TIMES』。Kassa Overallがコロナウィルスをテーマにしたジャズのリミックス第2集。
ラップトップを楽器として捉えているんでしょうか? そっちの分野でやっている作品も、従来の楽器でやっている作品と同等だと思っていますか?
エレクトロニックとアコースティックは、きっちり陰と陽に分かれなくなっていると思う。 すべてアコースティック楽器でアルバムを作っても、アコースティックな音源を使っているだけって意味なら、Squarepusherみたいになることもありえるよ。 となると、違う分け方を考えなきゃいけないっていうか。 どれも全体の一部なんだけど、作業はいろんなやり方になっているっていうのに近い。 たとえば、俺がメモ帳に曲を書いたとしても、それが“メモ帳ラップ”になるわけじゃない。 ただのラップだよ。
いま、ドラムを見てるんだけど、 あれは、瞑想であり、宗教であり、スピリチュアルだよ。 俺はドラムの練習をしたし、 自分のキャリアを向上させるために練習したよ、もちろん。でもそれは、“行為”でもあるんだ。ヨガとか瞑想みたいにね。 アコースティック楽器を演奏すると、木から出る振動を体で感じることができる。 俺にとって、そこにはまったく別レベルのスピリチュアル性がある。 それはこれからも変わらないし、自分の人生の一部であり続けるよ。 エレクトリックの要素をすべて取り除いたとしても、それ以外のものから以前みたいに振動を生み出せると思う。 火と風みたいなものっていうか。 でも、エレクトリック対アコースティックって考え方は、もう古いと思う。 もっと流動的だよ。
二元論はもう要らないですね。
こういうことに二元論は要らない。 たとえば、ローズピアノって中間にあるでしょ。ローズピアノはどうなのってことになるじゃん?
まったくもって同感ですね。 “エレクトロニックミュージック”って呼ぶことはあっても、“アコースティックミュージック”とか、“ギターミュージック”とか“ピアノミュージック”とは一般的に呼ばない。 そういうのを決定的な要素にするのは、なんかバカげていると思います。
だよね。The Beatlesだってエレクトロニックミュージックだったよ。
間違いないですね。
そうなると、物事じゃなくて世界観が重要になってくる。 たとえば、いまはアコースティックな音色の音楽がたくさんあるけど、使っているのはMIDIのドラムループでしょ。 完全にアコースティックに聞こえるけど、実際はそうじゃない。でも、世界観的にはそう聞こえる。 その時点で、もう誰も気にしないでしょ?
もはや、だまし芸ですね、その時点で。
その時点で、イカサマだよ。
レコーディングの方法ついて話をしたいんですが、 移動しながらレコーディングを行う自分のやり方を説明するのに、“バックパック・ジャズ”って言葉を使っていますよね。ニューヨーク中でいろんなミュージシャンとのジャムセッションを録音して、そこからスタジオに帰って録音したものを楽曲に組み立てているそうですが、 どんな機材を持っていってるんですか? 理想的じゃない環境でのレコーディングだと、どんな問題に直面しますか?
コロナウィルスが起こるまえだね、みんなの家に自転車で行ってやっていたのは。 ApogeeのDuetとApolloのやつを持ってたのよ。 オーディオインターフェイスとラップトップとヘッドフォンとShureのKSM44を持って、みんなの家に行ってたね。 そのマイクで何でも録音してた。 ピアニストのSullivan FortnerはリビングにSteinwayを置いていて、 俺は直でその上にマイクを置いたよ。あとは、ボーカル録りとか、何でも録ってた。 それ以外だと、いまってほとんどのミュージシャンが自宅に何らかの機材を持っているから、 しょっちゅう、使わせてもらってたな。
セッションを始めるまえから、自分の録音したいものは何か考えていますか? 具体的に欲しいものを考えておくことと、ジャムセッションで即興的にやったあとで考えることであれば、作業はどれくらいなんでしょうか?
どっちもちょっとずつあるかな。場所にもよる。 ジャムセッションをやってアイデアを考えるのは、実際のスタジオでやることが多いよ。 スタジオには全部持っていくから、とにかく作りまくって夢中になってる。 そこからは自分んちに戻って、何か月とか1年とか作業して曲にしているね。 それである段階になったら、みんなの家に行くんだ。「ねえ、バスクラリネットがここに欲しいんだけど。 これが要る。 あれが要る」って感じで、すごく具体的にやってる。
そういうやり方なら、普段、ひとりで作曲していたら生まれないような音楽のアイデアが生まれると思いますか?
うん、絶対そう。 というか、俺の曲は全部、客観的なものなんだよね。 たとえば、俺の作曲工程には、共同作業を含む部分があるんだけど、 『Think and Grow Rich』の一節だったかな、 自分よりもうまくできる人を見つけたら、その人にやってもらうべきだって書いてあって、 俺は何年もビートメイクしてるし、ドラムも演奏してるし、ラップとかそういうこともやってるけど、 ピアノの場合は、本当にそれをやっている人にお願いしたい。 自分の欲しいものを俺がわかっていても、その人には「いや、代わりにこのコードが必要だよ」って言ってほしい。俺は最終パスを出すのがうまいと思うよ。 俺は編集者だから。 結局のところ、プロデューサーって編集者なんだと思う。
スタジオで完成させた作品をライブパフォーマンス用に作り替えることについてはどうでしょうか?
うーん、言えるのは、 何事も時間がかかるってことくらいかな。 たとえば、スタンドアップ・コメディって、たくさんやらないと上手にならないって聞いたことがある。 俺はラップトップを持っていってジャズプレイヤーにクリックに合わせて演奏してもらったり、シーンを作動させたりってことを何年もやってきたけど、 俺がやってたライブパフォーマンスの状況は、ずーっと無意味なものだったのね。 808の音を鳴らしたときにスピーカーがちゃんと設定されてないとか、そんな感じだったの。 でも、それを毎週やってその環境での表現を身につけたんだ。 結局のところ、俺の出自はジャズミュージシャンの系統だから、 ステージに立つときは、何かを創造しようとする。 演奏するためにライブに行ったし、自分を出すためにライブに行った。
だから正確には、ポップスのライブじゃないよ。 俺は即興演奏の余地は残すようにしてるんだよね。スタジオ録音を聞いて楽しんでもらえるのって、半分は、のびのびと自然発生する感じだったり、そういう枠組みでの即興演奏だからね。 それにステージへ上がって録音の即興演奏の部分をそのまま再現しても、その質感は得られない。
だから俺は録音の一部を鳴らす方法を考えるようにしてる。曲によっては、ポップスみたいにすべてをそのままのパートでやるよ。 でも、その枠組みでやる自然発生的な即興演奏の余地は常にあるから、失敗するかもっていうあの感覚を引き続き得られるんだ。 「あ、こいつがやろうとしてることがはっきりわかるぞ」って感じなら、それについていこうとするね。毎晩、Elvin Jonesを聞きに行って、毎回、まったく違う雰囲気になるあの感じだよ。 そして日曜日になるころには、ほぼ信者になってるってやつ。
即興性とか自発性とかって、高次元の自分への入り口みたいなものだと思う。 その力を信じていればの場合だけどね。 でもそれと同時に……ポップスの世界のツールもあるじゃん。 だから俺らはクリックとかキューを使うし、Pushでループを鳴らす人もいる。 いまだと、PaulがDJミキサーも使ってるね。複数の曲やループがあって、さらにミキサーもあるから、伴奏曲を加工することさえできる。それをクロスフェーダーでやったり、エフェクトとかグリッチとか……、 わかるでしょ? それが、俺らのやっている一番新しいことだね。 でも、数回のライブごとに、新しいことを取り入れたり、何かを取り除いたりしてるよ。新しいものを続けるようにしているからね。そうすれば、少なくとも自分たちにとって楽しいままでいられる。
いま一緒にやっているバンドの規模はどのくらいなんですか?
いまは、カルテットだね。 まず俺。Paul Wilsonは、キーボードとDJをやってる。ボーカルも担当してるよ。DJハイプマンの煽り声って感じ。カウベルとライドシンバルも使うね。 あと、コンガやシャカシャカ系の音を出すパーカッショニストがいる。 それと、ローズピアノとかNordのやつとか、ちゃんとしたキーボードを演奏するプレイヤーもいる。そいつはベースシンセもやってるね。 だから基本的には、ドラム、ボーカル、エレクトリック・キーボードって感じ。 いまの音にすごく満足してるよ。余裕があるんだよね。全部をエレクトリック・キーボードにすると、アコースティックのものはドラムとボーカルだけになるから。 それが観客にどう伝わるかを考えると、たくさんの余地がある。 ドラム、グランドピアノ、ホルンとか、扱っている楽器同士でたくさんぶつかり合っているわけじゃない。
ドラマーとMCっていう2種類の異なるリズム分野を経ていますよね。 リズムを考えるとき、ドラマーの視点とリリシストの視点のどちらが先に来るんでしょう? そういう視点が互いに相乗効果をもたらしていると感じることはありますか? それとも、リズムについての考え方に矛盾が生じるってことがあるんでしょうか?
Kassa Overall “I Know You See Me (Feat. J Hoard & Melanie Charles)”
ハンドドラムを学んだことがあって、 ジャンベとか、西アフリカのドラムやダンスを勉強したことがあるんだけど、 大学時代にガンビアに行って2週間留学したのね。 そしたら、ダンダンを演奏する人がいて低域のパートを演奏するんだよ。 バチで演奏するんだけど、ほぼバスドラムとかフロアタムの音がするんだ。 それが基礎部分。 ほかのパートもいて、カウベルのパートがいるし、伴奏ジャンベのパートがいるし、あとリードジャンベもいる。 リードジャンベは、神々に語りかけるんだ。踊り手たちや村にも語りかける。 で、その音はラップみたいに聞こえるんだよ! マジで、そのビートはNeptunesをなぞった感じ。 Kanyeのドラムをなぞった感じかも。リードジャンベはAndré 3000をなぞってるね。 フレージングが同じだし、テンションとリリースも同じだし、使われるメロディーの幅も同じ。
つまり何を言いたいかっていうと、ドラムやボーカルが大切なんじゃなくて、 アフリカンドラムのオーケストラ内で演奏しているパートが大切ってこと。 ドラムセットを演奏している人は、騒がしいダンダンになっちゃうかも。 そうなっちゃうと、ほかのメロディーものをやることはできないのね。 でも、それを808でやるトラックっていうのもありえるから、 それだったら、ドラムセットを鳴らしてもリードジャンベの役割を果たせるようになるね。 ラッパーであれば、ほとんどの場合、リードジャンベの役割を担ってるんだよ。 大切なのは、そういう役割の違いなんだよね。
ヒップホップ、ブラックアメリカンの音楽、アメリカの音楽、最新の音楽って、根幹はアフリカンドラムのオーケストラの延長線上にあると言っていい。 確かに、ピアノとか、ヨーロッパの楽器も使われてるよ。 でも、その使われ方は、アフリカンドラムのオーケストラの形式を経てるね。 だから、ドラムとラップを語るのって、ものすごく簡単なんだよ。 その分野の中心から外れる必要さえない。 全部、同じ分野の中にあるんだから。
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文/インタビュー:Daniel Krishnan
Daniel Krishnan:世界中の音楽制作者の意欲を刺激するメディアプラットフォームProgram Changeの創設者。