Jonathan Zorn: 不気味なボコーダー
不完全や欠陥とされるものをテーマに取りあげ発展させていくアーティストがいます。真空管回路、ビニール、テープなどのディストーション特性を再現するプラグイン・エフェクトの数、また昨今のプロダクションに使用されているクラックルやテープ・ヒスのサンプルの数をみても、その存在は明らかです。
エレクトロアコースティック・ミュージシャンであり研究者でもあるJonathan Zornは、Google翻訳の翻訳機能を使用して幾度も翻訳を重ねるうちシステムの不完全性により文章の方向性が別方向へと進んでいったジークムント・フロイトの文章をベースとするシリーズ作品「And Perforation」で、この歴史に新しい1ページを加えています。
「And Perforation」とその関連作品「Language as Dust」のリリースに際して、AbletonはJonathanにインタビューを敢行、ボコーダーとモジュラー・シンセの使用について、言語を細分化することについて、Liveを使用した反応性に優れたパフォーマンス・セットアップの作成について話を聞きました。
「Language is Dust」と「And Perforation」での文章の構成プロセスについてお話しいただけますか。
「And Perforation」は、友人がDoepferモジュラー・ボコーダーを貸してくれたのですが、ジークムント・フロイトの評論「不気味なもの」に合うシリーズ作品を作成する最高の機会に思えました。親しみと違和感を同時に感じる何かというアイデアは、合成ボイスに対する私の強い興味を要約するのに非常にふさわしいと思いました。この関連性は、もともとムラデン・ドラーの本「A Voice and Nothing More」から得たものです。
テキストを作成するために、まずGoogleを使用してオリジナルのテキストを英語に翻訳しました。「Obvious Difference Scary」では、短いパッセージを繰り返しさまざまな言語に翻訳してから、英語に翻訳し直しました。「das Unheimliche」というドイツ語が次第に歪んでいくのが分かります。「The Bizarre」では、長いパッセージにMicrosoft Wordの自動要約機能を適用してからさらにGoogle翻訳にかけました。「And Perforation」では、自動翻訳で作成された言語的にまぜこぜとなったものにさらに編集を加えています。
「Language as Dust」のテキストには、アリストテレスの「霊魂論」、ジュリア・クリステヴァの記号論に関する論文、トーマス・エジソンの今後の録音技術の使用に関する覚書、ボコーダーの歴史に関するデイヴ・トンプキンスの本から集めたボコーダーの聞き間違え、電子音声現象(コンスタンティン・ラウティヴによる、ホワイトノイズを使用した死者との交信内容の書写)が含まれています。
テキストの加工には、MS Wordの自動要約機能、複数のテキストの接合(バロウズの「カット・アップ」的手法)、消去、翻訳などのテクニックを使用しました。このプロセスを経ることで、言語を音楽素材として使用することに興味を持ちました。たとえば、「Meditation on Pattern and Noise」では、フレーズや単語を繰り返してサウンドのパターンを作成し、語義とは関係のない音楽的な論理を作成しました。
これらの作品のスタジオでの制作はどのようなものですか?ボコーダーの使用についてお聞かせいただけますか?
プロセスは、デュレーション、ボーカル・エフェクト、ピッチ・セット、テキストの設定に使用する図表からスタートします。その後、バイオリン、コントラバス、ピアノ、ハープ、モジュラー・シンセ、DSI PolyEvolver、そして「海外のチャンネル」に合わせた1930年代の真空管ラジオを含むテキストと楽器を録音します。最後に、自分のボーカル録音を、SuperCollider、Max/MSP、Ableton Live、話声研究ソフトウェアPraatを使用してマニピュレートします。
「And Perforation」の作品はライブ・パフォーマンスを念頭にデザインされていたので、使用する機材をLiveとDoepferモジュラー・ボコーダーに限定しました。最終的には作曲もLiveで行いました。オーディオの処理と、オーディオとボコーダー間のルーティングがとても簡単だからです。ボコーダーはダイナミクスが一定のとき最も優れた結果が得られるので、コンプレッションとEQをボコーダーの前と後に追加できることが重要でした。また、Liveを使用すると、さまざまな音源をボコーダーの入力にすばやく簡単にルーティングすることができ、サウンドを展開するのにも、パフォーマンスにも非常に便利です。Doepferボコーダーを持ち主に返さなければならなくなったとき、Liveのボコーダーで作品を簡単に再現することができました。
「Language is Dust」をライブ・パフォーマンス用に準備する場合はどのように?
これらの作品のパフォーマンスは、ある意味、見かけによらずシンプルです。スペースキーを押したらトークが始まるというように、ほとんどにオートメーション設定を行っています。しかし、テキストのタイミングはかなり厳密で、スムーズに運ぶようにするにはかなりの注意が必要です。これらの作品では私はできるだけ存在を消すようにしています…ただし、自分の声の抑揚が持つ特性から完全に逃れることはできません。
これらの作品すべてでは、内部マイク入力がボコーダーやその他のエフェクトに到達する前にコンプレッション、EQ、ゲートからなるシンプルなプロセッシング・チェーンを通過します。
「Language as Dust」はスタジオ・プロジェクトとして誕生したので、LiveやM4Lを使用して作品をリバースエンジニアリングしてパフォーマンス・バージョンを作成しました。これまでのところ、2番目と3番目のセクションのパフォーマンス・バージョンのみ完成しています。
「Meditation on Pattern and Noise」では、Autotune、Live、Max for Liveをコム・フィルターとディレイに使用しています。サンプルのハープ楽器を使用することになったので、MIDIデータでいろいろと楽しむことができました。Scaleデバイスのラックの後にM4L MIDI granulatorを使用して、ハープとAutotuneに対して混沌としたMIDIイベントをいろいろと作成しました。
「Meditation on Presence and Absence」には、3つのインストゥルメント・ラックと3つのシンセ・トラックがあらかじめ録音されています。各インストゥルメント・トラックは2つのボコーダー・トラックにフィードし、1つのトラックでは私の話声が楽器によってモジュレートされ、もう1つトラックでは楽器が私の話声によってモジュレートされます。ライブ・バージョンでは4つのボコーダー・トラックとSonic ChargeのBitspeakを使用してLPCボーカル・サウンドをライブで再現しています。また、合成音素のライブラリの再生にはMidifighter 3Dを使用しています。どちらも、エフェクトのモジュレーションとミックスのバランスの変更はすべてかなりのオートメーションを使用してコントロールされていて、スタジオ・バージョンにかなり忠実になっています。
エレクトロアコースティック・ミュージシャンとして、実験的なコンピューター音楽とより伝統的な楽器の演奏の間の相互作用についてはどのようにお考えですか?
私の作曲プロセスはコンセプトの明確化と音によるアレンジの組み合わせから始まります。私はパフォーマーそして作曲家の両方としてエレクトロニック・ミュージックへとたどり着きました。私はコントラバスを演奏するのですが、この楽器の物性がエレクトロニック・サウンドを私の作品へと吹き込んでいるように思えます。エレクトロニック楽器とアコースティック楽器の扱いはほとんど同時期に学んだのですが、結果として、エレクトロニック楽器での作曲とアコースティック楽器での作曲を根本的に異なるものとしてみなさないようになりました。もちろん、覚えておくべきさまざまな制約はありますが、作曲家とは、一緒に作業を行う対象が実際の楽器を演奏する人間であれシンセ・ソフトを実行するコンピューターであれ、常にサウンド制作の制約との対話にあるものです。
「Language as Dust」はインプロヴィゼーションが不可能なので、楽器のスペクトル分析を行ってコンピューターが反応できるデータを作成するということはありません。代わりに、ボコーダーとLPCプロセスを使用することで私の話声と楽器の両方がさまざまな度合いで変化を遂げるようになっています。
結局のところ、私が最も興味をひかれるのはサウンドとコンセプトの相互作用、サウンドを通したある種の思考なのです。自分の納得のいく方法でこれを行うことが可能になったのはコンピューター技術のおかげです。まず一番にあるのはサウンドとコンセプトであり、音楽制作に使用されるテクノロジーではないのです。私が作品で展開するコンセプチュアルな奇抜なアイデアは、サウンド技術の歴史と、電子分野における創意と人間との関係への強い興味から生まれたものです。アコースティック・サウンドとエレクトロニック・サウンドの相互作用、特に、私たちの今この瞬間の不安について言及しているように思える人間の話声とエレクトロニック・サウンドの組み合わせは、私にとって心に訴えるものがあるのです。