『Demonstration Disc』は、表向きにはJason Grierによるニューアルバムということになっていますが、それと同時に、Grierが過去4年間かけて削り出し、カットし、コーディングしてきたアコースティック及び電子楽器のスタジオ録音素材、フィールド・レコーディング、発掘されたサウンド、そして奇妙なソニック・データから成る無償サンプルと生成音楽ツールのコレクションでもあります。
Jason Grier: 彼のユニークなサウンド・ライブラリーをダウンロード
音のレンジは、蜘蛛の糸のように編み上げた何百というギター・ハーモニック、あるいはベルリンの騒々しい大晦日の花火のフィールド・レコーディングなど、心理音響的に豊かなものから、例えばアウトテーク、失敗、エディットの残骸など芸術的労働の加工物として保存されたサウンド、さらに米国大統領選に対する大規模な抗議行動のFacebookビデオ・フィードのリッピングにまで及んでいます。
音楽的には、『Demonstration Disc』は同作にカメオ出演し、「Au Clair de la Lune」の断片を口笛で奏でたJulia Holterが「ミステリアスな短編映画シリーズ」と形容した、Grierの2013年アルバム『Unbekannte』で取られたアプローチをさらに進化させたものです。ほとんど手作業で編集された『Unbekannte』とは異なり、Grierの『Demonstration Disc』のサウンド的な柱となっているのは、彼が冗談混じりに「Seurat MIDI」と名付けた、Grierのしばしば予測不可能な「生成的プレイバック・エンジン」によって精巧に制作されています。
幻覚のような深みを目指し何度も加工が施された抽象的な表面の下には、労働理論、社会的慣習、ソニック・アクティビズムの問題が内在しています。 うるさく、退廃的で、無礼で、シネマティック、Grier自身は『Demonstration Disc』を「...あなたのピカピカの新しい、コズミックでアバンギャルドな化け物シンセのプリセット・ボタンをすべて潰したようなサウンド」と説明しています。
それでもこのアルバムは、Grierのサウンド・ライブラリの「オープンソース化」、彼が2013年から続けている長時間に及ぶパフォーマンスの主軸、1800を超えるオーディオ・サンプルとSeurat MIDIデバイスを含む、より大きなプロジェクトの一部です。 これらのサウンドとツールは無料で使用できるようになっているだけでなく、Grier自身がチュートリアルも提供、拡張パックも計画しており、このフレームワーク開発の行為そのものをより大きな芸術活動へと昇華させています。
1.最初の質問は「なぜですか?」です。 つまり、これらは明らかにありきたりの素材の寄せ集めではなく、サンプルの質とバラエティーを考えても、そして様々なデバイスを洗練させるためにかけたであろう作業量を考えても、市販されているサウンドパックに匹敵するものです。 なぜ、過去数年間かけて作ってきたこの音源ライブラリやツールを無償で提供するのですか?
結局は、売るに値するような素材には思えなかったからです。 というのも、次のアルバムは決して実現しないという呪いのようなものと共に作り始め、可能な限り時間を費やしてアルバムの制作を延期し、アルバムなのか何なのかよく分からない音源を制作することもなるべく遠ざけていたからです。 その信念は、私にとって(Satieの言い方を借りれば)「最も深刻な不動性」と呼ぶべきようなものでしたが、それが実際の計画としても、流通段階まで一貫していました。
私にとってのある種の「命題」は、芸術労働が芸術作品によって上書きされる傾向があるということでした。 これは、あるアート・スターのスタジオで骨を折っている、あるアート・アシスタントだけではありません。 あなたがいわゆるベッドルーム・アーティストであっても、あなたは芸術労働者であり、同じ機構を共有する作家です。 あなたの芸術作品が展示される(音楽アルバムの場合、発売日が決まり、Pitchforkでレビューされ、店舗へ流通され、映画にライセンスされるなど)瞬間に、アーティストという一種の象徴的/目に見える身体を立てるために、実際に労働を提供した実態/目に見えない身体は象徴的に消去されてしまいます。
ですから、私の実践そのものが、それを可能な限り(この場合は3年ですが、いずれにせよ)延長していくという一種のパフォーマンスになり、芸術労働者という身体がアーティストという身体に上書きされることを、自ら(の身体)を永続的なサウンド・エディターの役割を担うことで先延ばしにしたのです。 しかし、今私はこの「Jason Grier」という(ここでインタビューを受けているアーティスト)なわけですから、一体どのようにして、この元労働者の労働を収益化することができるでしょうか?
そこで私が考えたのは、このパフォーマンスを他の労働する身体に開放し、彼らがそれぞれのアルバムを作るなどしてさらなる労働を続け、編集し、それをまた新たな素材として貢献できるような「オープンソース」のサウンド・ライブラリにするということだったのです。
ちなみに、この無償の提供物には当然ながらもう一つの側面があるのですが、私のプロジェクトを(何らかのコンセプチュアル・アート作品としてではなく)ソフトウェア製品として捉えると、今日フリー・ソフトウェアがほとんど収益化されることがないということに気づくでしょう。バイナルのレコードや、ダウンロード、絵画、ラップトップといったものとは「異なる収益化」がされており、概念的な資本はそれでも資本ですから、結局はそれほど理想主義的なものではないのです。
2. Seurat MIDIは、アルバムの収録曲を作曲するために使用したインストゥルメントですか? どのように現在の状態のものに仕上げたのでしょうか? どう使うのか説明してもらえますか? マクロ・コントロールでは何ができて、どのように相互作用するのでしょうか?
はい。 Seuratは『Demonstration Disc』の作曲にとても役立ちました。
Seuratは、もともとワンショット・サンプルをまとめたドラムラックに、MIDIノートを(ドット状にペンキを塗るように)無作為に「スプレー」することでテクスチャを作成するための、一種のペイント・スプレー/ベルト状研磨機のようなデバイスとして考案しました。 ドット・ペインターとして知られるGeorges Seuratの名前がちょうどぴったりだと思って名付けました。
ライブラリに入れた最初の音は、基本的にストリングスをプラッキングした何百というサンプルからアタック部分を取り除き、これらの小さなヤマの部分を手動でカット&ペーストして繋いで、いわば音の表層を形成したものでした。TAP Plastics(*プラスチック素材の販売店)やPlanet Modulor(*ベルリンの美術材料/画材店)のようなところで販売している、無限のヒプノティックな素材のロールのようなものです。ですから、この時点ですでにこの材料/製造のメタファーがこの作品には含まれていたわけですが、それはもの凄い作業量でした。そこで、アルペジエーターとドラムラックを繋げて、自動化してはどうかと考えたのです。 ライブラリが成長していくにつれて、Seuratは手でクリックするには数が多すぎるクリップ量のサンプルをブラウズするために必要不可欠なものになりました。
最終的に、速いアルペジエーター(デバイスのマクロにある最初の4列を指します)を使って遅いアルペジエーターをコントロールすることで、Seuratがより長期的なイベントに対応できるようにしました。この時点で、短い音楽モチーフの作曲が可能なくらい賢くなったのです。
そして、1日単位の時間間隔で走るように設定し、耳障りのいいテクスチャのコンビネーションが聴こえてきたら止めるようにし、そのいくつかはアルバムの収録曲になりました。 これらのやり方は全てチュートリアルに入っていますよ。
デフォルトのAbleton MIDIのデバイスだけを使用し、そこでマクロに連鎖しているマクロに、さらに連鎖している奥深いところで理不尽なことが起こるようにするというアイディアでした。 Seuratには、100種類以上のサブデバイスが含まれており、サンプルのフィールドの幅を狭くしてMIDIノートをスプレーしたり、これらのサンプルのスプレーの厚みを調整したり、スプレーを勢いよく噴射させるか継続的に出るようにすることもできます。 Seuratのスプレー幅を作成する、128のAbleton Chord MIDIデバイスのデバイスオン・ボタンに接続された、128の異なるレンジ・リミットを持つマクロのサブデバイスがあります。また、マクロと速度ランダマイザーを使用して(逆説的に) 、スプレーの中心から1つのノートだけスプレーするよう制限するサブデバイスもあります。 速度ランダマイザーの使い方として、Seuratの噴霧密度を絞って抑制したり、噴霧ジェット全体をサーチライトのように動かすというピッチ・ランダマイザー(「徘徊」マクロ)の使用例もあります。
おそらく次のステップは、Google TensorFlowなどのAIライブラリを追加し、Seuratがそのアップグレード後にどのような音楽を生成するかを確認することです。 私はこれが、OSCやリモート・スクリプトなどを介してAbleton Liveをトリガーするスタンドアローンのアプリになると思っています。
また、私が全く想定していなかった使用例もこれからもっと出てくるでしょう。 例えば、最近、Seuratで詩を書いたりスクランブルしているという詩人 [Annelyse Gelman] が現れました。ワンショットの楽器サンプルの代わりに言葉/フレーズ/節を使用していて、そのやり方について彼女はチュートリアルビデオまで作っています。
3.『Demonstration Disc』のトラック5は、スタジオでのおしゃべり、ドアのきしみ(?)、ジャックにコードを差し込む音、ミキサーのヒス(?)、およびその他の録音プロセスにおける「残骸」サンプルで作曲されています。 サンプルライブラリには、これらのすべて(入っていますよね?)に加え、通常ならエディット段階で取り除かれるか最小限に抑えるようなサウンド(マイクのフィードバック、ノイズ・リダクションによる生成音、アンプのハム、ヒス、パチパチ音など)も含まれています。なぜこのようなサウンドを使用することに興味があるのですか?主にテクスチャや音色のバラエティーを求めているからなのか、それとも音の音楽性や音楽制作プロセスそのものに関わるようなより大きな意味があるのですか?
私はこのような 「スタジオ労働の副産物」をライブラリに含めるかどうかについて、いつも自問しています。 というのも、あまりに想像力が欠けているか、陳腐にも思えるからです。でも、人々がこれをどう受け止めるかということにも興味があります。 また、テクスチャと音色のバラエティーといった観点からも、音そのものを気に入ってもいます。しかし、これはまた、例えばレコーディング・ルームの不気味なきしみの音や、人が前のテイクがいかに酷かったかについて笑ったり話したりしている様子といった、「純粋な音」とは捉えにくい音ばかりですから、滑稽な息抜きのような面もあります。
でも最近は、私は純粋に耳への聴こえ方以外の理由で音を選択していて、自分が他の音ではなく、その特定の音を選ぶ理由は何なのかを解明しようとしているところがあります。 基準は何なのか? 純粋な喜びなのか? エディターとキュレーターとの違い/その汚染要因は何なのか? といったこと... 私がライブ/DJをする際は、たまに 「音楽」を止め、批評家/学者の政治スピーチや講演を繋げたりします。 例えば、Judith Butlerの講義を丸ごとライブラリに入れることには私も慎重になりましたが、音の残骸を取り入れるという「哲学的」問題に関連して言えば、ライブラリに「音ではない音」を含めるということには直接的な政治的共鳴があると考えています。
例えば、文字通りそのままウェブ・ブラウザから録音されたサンプルがあるのですが、これは米国総選挙後にニューヨークで行われた抗議行動のFacebookのライブ・フィードでした。 私のベルリンのアパートではインターネット接続がとても遅かったので、ビデオは狂ったようなバグを起こしていて、激しい唸りのような「アブストラクト」な音の、ループバックのようなBeat Repeatのようなことが 起こっていました。でもそれは、美的感覚における「激しさ」だったのでしょうか? ノイズ音楽? 騒音の芸術? デモの即興自動リミックス? それはそもそもサウンドと呼べるもの? もちろん違います。 録音そのものは、シチュエーションであり、事故(私たちの時代における、ファシズムの再来という歴史上の恐ろしい事故)と、同時多発的な事故、電気通信、音、希望をもたらす世界的なアクティビズムの広がりがたまたまくっついて重なったものです。
4.ライブラリには、従来の楽器(エレクトリックおよびアコースティック・ギター、ベース、ドラムキット、サクソフォン、クラリネット、ビオラなど)も含まれています。 しかし、これらもまた、従来とは異なる方法、あるいは高度な技術で演奏されています。 これらすべての楽器はご自身で演奏し、録音したのですか? アンティーク・ピアノはどこでどのように見つけたのでしょうか?
かなりの部分の「伝統的な」楽器は自分で録音しましたが、他にも多くの友人から素晴らしい協力を得ました。おそらくこのアイデアは狂っていると思いながらも、親切に時間を割いてくれました。
例えば、サックス、シンバル、フィンガー・ドラムなどに関しては、巧妙な演奏や適切かつ広範なテクニックが披露されており、実に素晴らしいです。 (...そして役に立って欲しいと思っています。なぜなら、このような種類の音を取り入れてモックアップや完成した作品を作りたいと思っている人々のためのリソースはあまりないようなので。ですからこのライブラリがそういった方向にも成長して欲しいと願っています。)
アンティーク・ピアノは、豪華な結婚式に招待されて訪れたトスカーナの山にある別荘で腐りかけているとこをを発見しました。グランドピアノとアップライト・ピアノ中間のような、とても珍しい失敗したようなデザインのものでした。 具体的に言えば、弦と響板が斜めに傾いていたのです! ですから、まるで巨大なドアストッパーのように見えました。 このタイプのピアノは、それほど長く製造されていたわけではありません。 掘り下げて調べてみると、19世紀半ばに作られたピアノであるということが分かりました。まるでJohn Cageが作ったかのような音がしましたが、それは意図されたものではなく、内部がボロボロになっていたからで、まさに「放置されることによって作られた」音でした。 そこで私は、この腐りかかった楽器を「念入りに」、各ストリングごとにマルチ・サンプリングすることにしました。なぜなら、その音の響きが気に入ったのと同時に、先ほどの「音の残骸」というテーマにも回帰させられることだったからです。
5.ジャケット(またはSpotifyタグ、ダウンロード・リンク)にはあなたの名前がついていますが、このプロジェクトは複数のレベルにおいてコラボレーション的な精神が行き渡っているようです。友人に楽器の一部を演奏してもらっていますし、Seurat MIDIデバイスもコラボレーターの一種と言えますし、またあなたは第三者がライブラリを使用したりそこに追加していくことを希望しています。 あなたは、ライブラリがどのようになり、人々がそれにどのように加わることを願い、想像しますか? 彼らはライブラリを拡大したり、各自の音楽にそのコンテンツを使用したりすることによってコラボレーターになれるのでしょうか? コラボレーションはまた、タイトルの「デモンストレーション」の様々な意味合いにどのように結びつくのでしょうか?
コラボレーションは私にとって非常に重要です。もちろん、それは同じ考えを共有するアーティストの集団として始まり、その後非営利団体となり、その後何か別のもの... 今はライブラリの冒険になった私のレーベル、HEM (Human Ear Music) が経てきた変化や形態に戻ってきます。しかし、明確な(社会学的/方法論的な)文脈が定められていない場合は、 「コラボレーション」という言葉の使い方には常に慎重でなければいけません。最近、ここ3,4年の間に、私にとってのコラボレーションの重要性と形態には、まず音楽をシチュエーションとして見るという考えが先にあります。この考えは、サンフランシスコでMichael Pisaroの『 Tombstones』を録音していた時に意識し始めました。というのも、私たちは豪華なレコーディング・スタジオにテキスト・スコアを手に訪れ、そこでは作曲家、演奏家、プロデューサー、エンジニア、管理者の役割分担と信頼関係というデリケートなバランスがありました。Michaelがこれらのポップ・ソングに持ち込んだ「実験的状況」による、作品そのものの不確定性/脆弱性がありました。そして、この機械化された音楽プロダクションの場は、そこらじゅうに音楽機材が溢れ、高度に工業化された素材と商業的な状況だったのです。
ですからこの経験の後、ベルリンで私自身の音楽の最初のスタジオ・セッションで、私は既にライブラリの素材を録音し始めていたのですが、レコーディング・スタジオそれ自体を一つの完結したシチュエーションとして、共有された労働の場として、コラボレーションというコンテクストとして見るようになっていました。必ずしもアルバムが作られる場所としてではなく、また最終的に美学的価値のためにリリースされる「スタジオ実験」が繰り広げられる場所でもなく。ですからライブラリは、レコーディング・スタジオを身体、素材、役割、さまざまな労働/政治的地平、さらには機械や究極的にはロボットが自分自身を見つけることができる状況として見るための試みとして始まりました。私の考えでは、これが私がコラボレーションと呼ぶものの一つの決定的な形態です。そのコラボレーションから生まれたオーディオは、確かに実験的・美的対象、あるいは音楽的なものになり得、またこのような類いのものは確かに存在すべきですが、私が思うには、労働の記録、あるいは共有空間で行われた共同作業の証明または考古学にもなり得るのです。あらゆるサウンド・サンプルは、ある意味では労働の認証として、また一時的なコミュニティによって共有され残された壺のようなものだとも捉えられます。
いざこの労働の記録を配布しようと考えた時、ライブラリが当然の選択に思えました。人はライブラリをリソースとして捉え、その中にあるものを学習、実行、制作に使用する可能性を念頭に足を踏み入れます。 この意味では、サウンド・ライブラリーはすでに広範囲な労働環境なのです。 そして、音そのものに新しい命を吹き込むという意味では、私はここで留まるつもりはありません。 すでに私は「拡張パック」としてデータの超音波処理(画像、テキスト、オーディオとしてさまざまな手段でレンダリングされたビッグデータ・セット)、クラスタ・コード(自宅プラントで加工されたピアノを使用)、そしてOmnichord( 元のメーカーとの著作権問題は無視して)などに取り組んでいます。
当然、私はこの拡張性を無制限にし、それに取り組むのを自分一人に限定しないようにするつもりです。 ソフトウェア開発をバックグラウンドとしているので、私はレポジトリ(保存場所)にコードを配布し、そのリポジトリに「プル・リクエスト」と呼ばれるものを作成することで貢献し、改良したものをコア・チームにレビューしてもらうために提出するという、Githubの戦略を支持しています。すべてが上手くいった場合、あなたの変更はコア・コードベースに統合され、プロジェクトが成長していきます。 ですから、ライブラリ全体をGitHubに置き、Githubをデジタル/ストリーミング/バイナル/その他を加えた代替リリース形式の一つとするのはごく自然なことに思えます。
各ライブラリーの拡張には、新しい『Demonstration Disc』(または「Demonstration EP」)が付属し、それが何度も繰り返される可能性もあります。 もちろん、純粋なエンジニアリングの角度もあります。Seuratがより賢くなってJavascriptに移行したり、独自のデスクトップ・アプリになるなど、潜在的なコラボレーション展開はたくさんあり得ます。