考えすぎは創造性の障害か? 音楽制作におけるフローを受け入れる
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音楽制作における不思議な逆説——頑張るほど、完成が遠のく
多くの音楽制作者が経験したことがあるであろう、ある種の逆説的な現象がある。完璧なトラックを作ろうとすればするほど、それが実現しにくくなるのだ。スネアの音色を何時間も調整したり、ベースラインに執着したり、オートメーションカーブを細かく調整したりしているうちに、気づけば最初に求めていた「雰囲気」からどんどん遠ざかってしまう。一方で、あまり深く考えず、ただ純粋に楽しんでいるときに限って、すべてがスムーズに進み、まるで宇宙が「はい、これが答えだよ」とそっと耳打ちしてくれるような瞬間が訪れる。
なぜこうした現象が起こるのだろうか? なぜ、必死に頑張ることが時に敵になってしまうのか? 私たちはこれを「クリエイティブ・ブロック」や「分析麻痺」と呼ぶことがある。どのエンコーダーを回しても違和感があり、どの決定も不自然に感じられ、見えない力が自分に逆らっているかのような感覚に陥るのだ。
しかし、その反対に、音楽が自然に流れ出すような至福の瞬間もある。時間の感覚が消え、ただグルーヴに没頭している。アイデアを重ね、直感的に展開させることで、トラックがほとんど自動的に形作られていく。キックは完璧に収まり、ベースラインはしっかりとした存在感を放ち、アレンジは意図せずとも有機的に進化していく。まるで音楽が自らの意志で形を成していくかのように、スムーズで直感的、そして時には恍惚とした感覚さえ生まれる。
この現象は「ゾーンに入る」や「バイブスを掴む」といった言葉で表現されることが多い。心理学ではこれを「フロー状態」と呼ぶ。1970年代に心理学者ミハイ・チクセントミハイによって提唱された概念で、彼はフローを「活動に完全に没入し、まるで流れに運ばれるように物事が“自動的”に進んでいく状態」と説明した。
「フローとは、その活動自体に完全に集中し、没頭している状態のことです。エゴは消え、時間の感覚がなくなり、すべての行動、動作、思考が自然に次へとつながっていきます。」
ベストセラー作家であり、人間のパフォーマンスに関する専門家であるスティーブン・コトラーは、フロー状態では脳が加速するのではなく、むしろ減速することを指摘している。特に意思決定や批判的思考を司る前頭前野の一部が活動を低下させることで、直感的に動けるようになるという。この現象が、時間の感覚が薄れ、今この瞬間に完全に没入する感覚を生む理由でもある。
では、この知識を武器に、私たちは「考えすぎはフローの敵」と結論づけることができるのだろうか? もしかすると、「考えない」ことこそが、より良い音楽制作の鍵なのかもしれない。
この問いを探るため、私たちは2024年のアムステルダム・ダンス・イベントで、アーティストのNadia Struiwigh、DJ Mell G、そしてAbletonのJohannes Russと共に、クリエイティブなフローを解放するための戦略について議論した。その中で、これらのアイデアがAbletonの最新プロダクト「Move」の設計にも深く関わっていたことが明らかになった。
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DJ Mell G、Nadia Struiwigh、 Johannes Russが「考えるよりも速く創る」というコンセプトを語る(モデレーター:Joseph Joyce/Amsterdam Dance Event 2024)
アイデアと創造性のフロー
創造性とは、まるで雷を瓶に閉じ込めるようなものだ。ある時はアイデアが湧き出るように流れ、またある時は必要なときに限って枯渇してしまうのはなぜだろう?
モーツァルトの言葉として広く知られる名言がある。それによれば、最高のアイデアは意外な瞬間に訪れるものらしい。彼はこう言っている。
「私が完全に自分自身でいられるとき——一人きりで、気分が穏やかで、たとえば馬車に揺られているとき、食後の散歩中、あるいは眠れない夜など——そういう時に限って、最も豊かにアイデアが湧いてくるのです。どこから、どのようにしてやってくるのかは分かりません。ましてや、それを無理に引き出すことはできないのです。」
Nadia Struiwighにとっても、フローは思い通りに呼び出せるものではない。それは彼女のスケジュールに「幸せな余白」が生まれたときに、自然と訪れるのだ。
「脳にスペースがあるときが一番いいですね」と彼女は言う。「やることが多すぎたり、ストレスを感じていないときほど、クリエイティブになれる気がします。逆に、仕事としての制作が求められるときは、ストレスを感じて『やりたくない』という抵抗が生まれることもあります。」
Johannes Russにとって、フローを生み出すことは音楽ツールをデザインするうえで欠かせない要素だ。
「アイデアを形にする過程では、自分をジャッジしないことがとても大切です。そして、素早く直感的に制作できる楽器が必要になります」と彼は語る。「Moveでは、可能な限り複雑さを削ぎ落としました。例えば、機材の起動やロード時間が長すぎると、それだけでフロー状態が崩れてしまう。パッチの読み込みに10秒以上かかるだけで、集中力が削がれてしまうんです。」
DJ Mell Gにとって、ツアーやレーベル運営の忙しさの中でフローを見つけるのは容易ではない。
「私にとって、フローに入るには“たっぷりのスペース”と“自由な頭”が必要です。無理にやろうとすると、まったく音楽が作れなくなるんです」と彼女は打ち明ける。「トラック制作で行き詰まったときは、過去のプロジェクトからベースラインをエクスポートして、別のトラックと組み合わせることもあります。パズルを解くみたいな感覚ですね。」
考えすぎを防ぐための戦略
「考えすぎるな」と言われても、多くの人にとってそれは簡単なことではない。頭の中のノイズを静めるには、練習が必要だ。しかし、実践できるいくつかの戦略がある。
ナディアは、考えすぎること自体は避けられないものの、それを克服する方法を学んできたという。
「考えすぎは、みんながやってしまうこと。でも、そこで止まらないことが大切です」と彼女は説明する。「時には、30分で作ったトラックが最高の仕上がりになることもあります。なぜなら、それは魂から直接生まれたものだから。思考は後から入ってくるもので、ミックスやサウンドデザインを調整するときに使えばいい。創造は心が主導するもので、分析は後回しにすべきなんです。」
DJ Mell Gにとって、環境を整えることも重要なポイントだ。
「私は、まず部屋を全部掃除しないとダメなタイプなんです」と彼女は笑う。「頭をスッキリさせるには、空間を整理するのが一番。制作を始めても、最初は考えすぎてしまうことがよくあります。BPMを変えたり、違うアイデアを試したりしているうちに、気づいたら何週間も経っていて、まだ完成していないことも…。この業界のスピードの速さもプレッシャーになりますね。」
彼女は「エゴこそが最大の敵」だと続ける。
「他人と比べたり、“絶対にヒットを作らなきゃ”というプレッシャーを感じると、本当に何も完成させられなくなるんです。」
結局のところ、大切なのは「完璧を求めすぎないこと」なのかもしれない。考えすぎる原因は、完璧主義と外部からのプレッシャーにあるのだろう。
クリエイティビティを刺激し、考えすぎを防ぐ音楽ツールのデザイン
音楽機材のデザインには、クリエイティブな直感と調和するよう、細部まで深い考察がなされている。コントローラーやグルーヴボックスといった機材は、単なるエンコーダーやパッドの集合体ではなく、創造性の流れを止めないために設計されているのだ。
この設計思想の中心には「摩擦を減らすこと」がある。たとえば、「あのパラメータはどこにあるんだっけ?」や「なんでこんなにメニューが深いんだ?」といった瞬間が積み重なると、フローは簡単に中断されてしまう。
Johannesは、Moveの設計において「フローを最大化すること」を最優先に考えたという。
「どれだけの機能をユーザーに提示するのか、どのくらいの選択肢が適切なのか。これを慎重に考えました」と彼は語る。「選択肢が多すぎると、判断に迷い、決断疲れを引き起こしてしまいます。シンプルさと即時性を重視することで、アーティストがアイデアをスムーズに形にできるようにしました。それがMoveのコンセプトの出発点です。」
「この自由な状態で、アイデアをジャッジせずに形作ることができる機材を作りたかったんです。Moveでは、パッドを叩き、シーケンサーを使い、アイデアを瞬時にキャプチャできます。すべてが超高速で動作しますし、“キャプチャー”ボタンを搭載することで、録音のことを気にしなくても、フレーズを遡って保存できるようにしました。Moveを設計する上で大切にしたのは、制作の衝動が生まれた瞬間に、何もそれを邪魔しないようにすることでした。」
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Amsterdam Dance Event 2024でAbletonブースを訪れた来場者がMoveを体験(写真:Jasper Ten Tusscher)
Moveの誕生:コンセプトから現実へ
Ableton Moveの開発は、一筋縄ではいかない挑戦だった。Johannes Russはその過程をこう語る。
「最初は広範なコンセプトのアイデアからスタートしました。スケッチを描き、試作品を作り、テストし、改良を重ねる。その繰り返しでした。とにかくたくさん描き、たくさん試して、アーティストに実際に触ってもらいました。」
開発初期の段階から、Moveの可能性はすでに明らかだったという。
「何かすごく新しいものができそうだと感じていました。」とJohannesは振り返る。「トラック数は少なく、機能もコンパクトでしたが、それが逆に制作のスピードと楽しさにつながっていたんです。みんなが直感的に、素早く音楽を作っていた。それを見て、まるで“キャプチャーボタン”を押したかのように、そのまま進めるべきだと確信しました。」
しかし、プロトタイプを製品として完成させるには、数々の困難が立ちはだかった。
「Moveはコンパクトですが、その分とても密度が高く、複雑な設計になっています」とJohannesは語る。「WiFi機能を搭載しつつ、他のAbleton製品とのシームレスな連携を可能にし、絶対にクラッシュしないようにする必要がありました。ハードウェアのあらゆるコンポーネントの試作は、非常にチャレンジングな作業でした。」
また、チームはデザインの細部にも徹底的にこだわり、サウンドのブラウジングやパッドの最適化を何度も見直した。
「常にテストを繰り返し、フィードバックを集めながら、『この方向性で合っているのか? それとも軌道修正が必要か?』と自問し続けました。」とJohannesは付け加える。
Moveは、ただの機材ではなく、アイデアが瞬時に形になるためのツールとして設計された。そのコンセプトが、開発のすべての過程に貫かれていた。
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Move初期プロトタイプのユーザーテスト
創造の旅:クリエイティブプロセスの異なるステージ
Johannes Russは、音楽制作を「旅」に例える。それは、アイデアのスケッチから始まり、徐々に磨き上げて完成させるまで、さまざまな思考の状態やクリエイティブな段階を経て進んでいくものだ。この考え方は、近年のAbletonのプロダクトデザインにも反映されており、多様なクリエイティブニーズに対応できるツールの開発につながっている。
「私たちは、クリエイティブの旅の“始まり”に適したツールを作ることを重視してきました」とJohannesは説明する。「これは、アイデアをキャプチャし、自分が表現したいことの本質を形にする段階です。MoveやNoteはまさにそのためのツールです。一方で、PushやLiveのようなツールは、アイデアをより詳細に掘り下げ、サウンドの全体像を作り上げるのに適しています。Abletonのエコシステムだからこそ、これらを組み合わせた独自のアプローチが可能になるんです。」
このエコシステムの魅力は、クリエイティブな流れを途切れさせないことにある。たとえば、外出先でMoveやNoteを使ってアイデアをキャプチャし、Ableton Cloudにアップロードすれば、自宅のデスクトップでLiveを開いたときに、そのプロジェクトがすぐに再開できる。
「ツール間の素早い移行を可能にすることがポイントです」とJohannesは付け加える。
プログレッシブ・ディスクロージャー:シンプルさと複雑さのバランス
Nadia Struiwighは、音楽ツールの進化と、機能性と使いやすさのバランスを取る難しさについて考える。
「最近はどの機材にも“シフトボタン”がありますよね」と彼女は指摘する。「シフトボタンがあると、メニューの奥に潜る必要があると分かる。機材が小型化したことで、こうした設計が増えているんです。」
現代の音楽機材は、デジタルとアナログの技術が融合し、一台で膨大な機能を持つようになった。そのため、ナディアはこうした複雑さをデメリットではなく、可能性と捉えている。
「今の機材は、デジタルソフトウェアとアナログハードウェアが密接に連携しています。だからこそ、ファームウェアアップデートで機能を追加できるし、より多くの可能性を持たせるべきだと思います。」
Johannesは、Abletonの製品設計において、このバランスをどのように実現しているのかを説明する。
「私たちは“プログレッシブ・ディスクロージャー”という概念を採用しています」と彼は語る。「表面的にはシンプルで直感的なインターフェースを提供しつつ、必要に応じて深く掘り下げられる構造になっています。重要なのは、基本的な操作が直感的で素早く行えること。そして、より細かく音作りをしたい人には、奥深い機能を提供できるようにすることです。」
Moveの設計も、この考え方に基づいている。シンプルな表面の裏側に、深みのある機能が隠されていることで、初心者でも迷わず使え、経験者はより細かいコントロールを楽しめる。直感的なシンプルさと、探求するほどに広がる可能性。その両立が、クリエイティブなフローを最大限に引き出す鍵となっている。
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JohannesがベルリンのAbleton本社で完成したMoveを試す様子。
幸福感:考えすぎを手放すサイン
Moveのようなツールが創造のプロセスにおける摩擦を減らしてくれるのと同様に、内なる批評家を沈めるための個人的な戦略もまた重要だ。いずれにせよ、パネルディスカッションに参加したアーティストたちが口をそろえて言ったのは、「音楽を作る楽しさを忘れず、流れに身を任せること」だった。
ディスカッションの締めくくりとして、聴衆からこんな問いが投げかけられた。
「考えすぎをやめるべきタイミングをどうやって判断しますか? 何をきっかけに、次のステップへ進むと決めるのでしょう?」
Nadia Struiwighは即答した。
「幸福感です。」
「私の場合、もし自分が楽しさを感じているなら、それを疑わないようにしています。『これで本当にいいのか?』なんて考えません。」
Nadia StruiwighとDJ Mell Gの最新情報をチェック
また、Moveに関する詳細や、Abletonコミュニティからの質問にJohannes Russが答える動画もぜひチェックしてみてほしい。
文・インタビュー:Joseph Joyce