Fumitake Tamura(別名BUN)にとって、ヒップホップから影響を受けたサンプリング多用の特徴的スタイルの起点は、大学で学んだ西洋音楽と現代音楽制作だったようだ。とある晴れた日の午後、東京で彼は通訳をかいして次のように語っている。「もともとクラシック音楽を勉強していたんですよ。同じ時期に、A Tribe Called Questっていうヒップホップの人たちのアルバムを偶然聞いたんです。彼らの音楽がすごく面白くて、『どんな構造になっているのかな』と疑問に思い、五線譜などを使って自分が知っている方法でアナライズしたんですけど、結局、それがうまくいかなかったんです。なぜかっていうと、リズムに関していえば、1小節を4分音符や16分音符などで均等に分けていく西洋音楽には収まりきらない音楽だったから」
ヒップホップに魅せられたTamuraは、自らビート制作に着手。西洋音楽の延長にあるような1900年代の音楽を学ぶなかで習得した分析スキルで、“サンプルのチョップという芸術”との調和を試みた。「12音技法をサンプリングに置き換えるとか、そういう西洋音楽的な実験は若い頃にさんざんやったけど、全然面白くないんですよ。要はストラクチャーを移動するだけだから。いろんなことを試したうえで、感覚的に作っていくのが一番面白いと思っていました」
この感覚的なアプローチにより、Tamuraはソロとコラボレーションの両面で数々のアルバムとEPを発表してきた。ロサンゼルスのLeaving Recordsや自身のレーベルTamuraからのリリースのほか、坂本龍一のCommmonsによる流通をつうじて、作品を世に送り出している。その間も一貫して、サンプリングに対するアイデアとともに制作を進化/変異させてきた彼は次のように語る。「サンプリングというのは、違う人が作った箱庭の一部を自分の箱庭に移動することだと思うんです。たとえるなら、手入れされているような花壇やコンクリートの家屋とかを、花を入れ替えたり、壁に色を塗ったりして、自分の箱庭に移し替えていくということだと思うんです。その外側にそれを見る人間がいて、箱の中には多種多様な人たちの作った断片が、その制作者の好みに加工されて配置し直されている。扱っている断片も、もともとはさまざまな人たちがドラムを叩いたり、歌ったりしている素材なので、要は入れ子みたいな構造になっている。ヒップホップやサンプリングミュージックの作り方でいえば、僕はこの入れ子の構造を意識して複雑さをなるべく引き出すようにしています。また、大きな意味でいえば、結局はサンプリングミュージックって偶然性が高い音楽なんですよ。その日どのレコードを手にするか、どの曲をiTunesで選ぶかという偶然によって選ばれた異なる素材と素材を同価値にとらえて作り上げていく音楽だと思うので。一般的な音楽だと音そのものに深く視点を落として作っていく。サンプリングミュージックの方は、素材がすでに完成されたものを扱っているので感覚的なので、よりルーズというか。それが一番、一般的な音楽にはないところだと思います」
最近、ロサンゼルスのラッパー/プロデューサーのBusdriverと一緒にアメリカでツアーしてましたよね。彼と数年間コラボレーションをしていて、その成果のひとつが、Free Black Press Radio(英語)です。ポッドキャストやラジオ番組のようなものだと言えそうですが、本人としては何だと思いますか?
ポッドキャストとかそういうのは、彼の考えではアティチュードだと思うんですよね。
では実際のところ、Busdriverとのコラボレーションはどのように進めているんでしょうか? 単にトラックを送りあっているんでしょうか?
まず出会いについて説明させてもらうと、ある日、ロシアでDJが僕のトラックをかけたんです。そのとき、Busdriverがツアーでロシアに来ていて、僕のトラックを聞いて反応したらしいんです。それからTwitterなどで、連絡をとるようになりました。ついこの前、初めて彼と顔を合わせたまでは、ほぼメールでのやり取りです。僕が曲を送ると、何かが乗っかって返ってきたりとか、知らない間にアルバムで使われていたりとか、そういう感じですね。僕には連絡を送ってこないんですけど、かなりの曲を彼に使われていたことが今回アメリカに行ったときにわかったんです。これまでにかなりの曲を送っていたんですけど、返事があったのがいくつかしかなかったんですね。でも、彼が住んでいるロサンゼルスに行ってみると 、すでにラップが乗っているかなりの量の曲がストックされていました。
Busdriverのアルバムと、Free Black Press Radioの音楽は、彼の中で区別されているようで、ビートが強いものがBusdriver名義の方に使われたりとか、あまりビートのないものがFree Black Press Radio名義の方に使われたりとか、そんな印象があります。
アメリカ人プロデューサーのDakim(英語)とのコラボレーションも進行中ですよね。Leaving Recordsから2枚のリリースがありました。Dakimとはどうやって連絡を取るようになったんでしょうか?
ちょっと話がずれてしまうかもしれませんが、まず2000年代中盤にCarlos NiñoのAmmoncontactというプロジェクトが好きで、彼らがリリースしていた Plug Researchというレーベルにデモを送りました。その当時、たしかPlug ResearchとDublabがオフィスをシェアしていて、Dublabで働いていたMatthewdavidに僕のデモが渡り、それを機に彼と連絡をとるようになりました。その流れでMatthewがLeaving Recordsというレーベルを始めるということを知って、そのLeavingの最初のリリースがDakimだったんです。
その当時、Dakimは聞いたことのないような音を作っていたので、彼のメールアドレスをMatthewに聞いたのか、Dakimのウェブサイトで直接知ったのか忘れてしましましたが、僕からコンタクトをとり、僕のアルバムのリミックスをお願いしました。
どのようにコラボレーションを進めたんですか? 直接会ったのか、それとも、ファイルを送りあったのか。
主にファイルでのやり取りです。僕らのアルバム『Mudai』の場合は、僕の方でいくつかアルバム用に曲を作って、それを投げて彼に制作してもらったり、彼の曲を素材にして僕が新しい曲に仕上げたりしています。また、いくつかはDakimの選んだ僕のオリジナル曲がそのままの状態で収録されています。直接会うということだと、ちょうど最初のリリースの『Mudai』が出たときに、日本で一緒にライブをする機会があったので、その際に彼が持っているMPCのテクニックを教えてもらったり、ライブや振る舞いを見て彼の個性に触れたりした経験が『Mudai Version』をまとめるためのヒントになったと思います。
音の連続よりもこの隙間のほうが音楽に意識を引きつける強い力になるという考えから、サイドチェインを使用しています。
『Mudai』と『Mudai Version』ではアプローチに違いはありましたか?
『Mudai』は、2014年までにできていたコラボレーションワークをまとめたもので、『Mudai Version』はそれらを進めて2016年の頭までに完成したものをまとめました。『Mudai』は収録予定の各曲を編集可能な素材として考えて、Dakimが重ね合わせたり、つないだり、追加でドラムを足したりしています。そんな経緯もあって、A面とB面それぞれに1曲ずつのアルバムと考えています。また、最終的にカセットテープでマスターが作られていて、その際に非常に強いテープコンプレッションがかけられているので、いつもよりざっくりとしたDakimの感性が多めに入っていると思います。
逆に『Mudai Version』は全曲セパレートで収録していて、僕らの作品の中ではハイファイな部類のものです。ただ前作から2年近く期間があったので、僕の方で曲に対して様々なバージョンアップをしています。なので、こちらは僕のフィーリング多めという感じかと思います。マスタリングは通常の方法でMatthewdavidが行いました。
Dakimとのコラボレーションやソロの制作で使っているサイドチェイン・コンプレッションがすごく面白いですよね。コンプレッサーでリズミカルに弾みをつけていて、ひとつの楽器みたいです。こんなふうにクリエイティブにコンプレッサーを使うためのポイントは何かありますか?
サイドチェイン・コンプレッションだけでなく、サイドチェイン・ゲートもよく使っています。どちらにとっても重要なポイントは、音空間に無音の隙間を作れるということです。
技術的なことでいえば、アタックタイムとリリースタイムの調整、何をサイドチェインのソースにするのかが重要です。ドラムのどれかをソースにすることで、コンプレッサーをかけている素材のリズム感を強引にドラムのリズムに引き込むことができます。ゲートの場合は、ゲートをかけている素材をドラムのリズム感に引き込みつつ、本来音で埋まってしまう空間に隙間を作って、音場の遠近感をより感じることができると思います。
音の連続よりもこの隙間の方が音楽に意識を引きつける強い力になるという考えから、サイドチェインを使用しています。音が続くかもしれないという期待を裏切ることで、土台を引き抜かれるような感覚、見ていた映画が機械の故障により途中で止まってしまうような感覚、そういう類の感覚をもたらすように機能していればうまくいっていると判断しています。
制作したアルバムのうち、かなりしっかりとしたコンセプトに従っているように思えるものが2枚あります。少なくともネーミングという意味で、『Bird』では全トラックが鳥類の名前になっていて、『Minimalism』では各トラックにミニマルミュージックのアーティスト名がつけられています。この2枚のアルバムを作っていたときは、何かしらの特定のコンセプトに従っていたんでしょうか?
僕の以前のアルバムで『Adieu a X』というリリースがあって、それは全部、曲名に女性の名前がつけられています。人からは「昔の彼女?」って思われるんですけど、全然そうじゃなくって。例えば、『Rei』っていう曲は川久保玲だったり、『Yoko』ってオノヨーコだったりするんですよね。すべて、僕が尊敬している女性クリエイターなんです。何をやりたかったかっていうと、遊びがしたかったんです。こういうふうに聞かれるであろうっていうことを想定して、コンセプチュアルに見せるということを試しているんです。
『Minimalism』に『Judd』という曲があって、僕の美術家の友人から「Donald Juddを『Judd』から感じる」って言われたんですけど、実は、Donald Juddからインスピレーションを受けた要素っていうのはひとつもないんですよね。人間っていうのはそう思うだろうなっていうのを、遊んでみたんです。だからこの3枚のアルバムに関しては、音楽以外のコンセプトはほぼないですね。『Minimalism』という名前は後からつけたもので、ジョークというか、たいして意味はないんです。
音楽的なコンセプトに関して話すと、『Minimalism』の収録曲は、もともと倍の速さなんです。それをすべて半分のスピードで再生したときに何が起こったかっていうと、ディレイの音が2倍に伸びたことで、音像が貼りついているような印象に変化したんですね。そのときに「こういった音の変化はひとつのアルバムのコンセプトとして使えるな」と考えて『Minimalism』の音楽的なコンセプトとして使っています。単にサンプリングレートを半分に落としたんですよ。そうすると、面白いんですよね。リバーブやディレイとか、空間的なエフェクトがすごく不思議に響くので。スピードを落とすことで自分には刺激がある音に変化していくし、そういった変化を改めて発見できるというのは面白いですね。
結局『Bird』でもやりたかったのは、「音楽が重要ですよ」ということだったんです。 タイトルと曲名に一貫したテーマを使いコンセプチュアルに見せることで、逆に音楽そのものが透けて見えてくる。つまり音楽がすべてだってことを言いたかったんです。
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Fumitake Tamuraの提供によるコードとテクスチャーをまとめた無料サウンドパック。VHSに録音したことで“ぬくもり”と“ざらつき”が加わっている。
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