エレクトロニックミュージックのキック概論
エレクトロニックミュージック、とりわけ踊ることを目的にしたジャンルのリスナーなら、キックと一体になる“あの”瞬間を味わったことがあるのではないだろうか(キックはバスドラムとも言う)。 単にビートが打ち付けられる衝撃というだけではない。鼓膜と身体がキックドラムのパターンにかみ合う瞬間が存在する。 ドンッとしたキック、鼓動するキック、短く鋭いキック、とどろくキック。キックを聞くと、揺らぐ、跳ねる、頭を振る、両手を突き上げる、といった行為のタイミングを知ることができる。
ではそもそもキックの何がこれほど魅力的なのだろうか? キックはどうやって生まれているのだろうか? そして、自分の制作でキックのインパクトを最大限に引き出すにはどうすればいいのだろうか? そこで今回は、エレクトロニック・キックの歴史と重要ポイントをDavid Abravanelが概説する。
誕生
エレクトロニック・キックは、生楽器のキック音を模倣する試みとして誕生したものだ。そこでまずは、キック音の構成要素を知っておこう。
· アタック:アタックはキックの音が現れるまでの時間を表す。“コッ”という鋭いアタックから、徐々に立ち上がる低くとどろくアタックまで、さまざまなタイプがある。 アタックは、キックを打ち付ける瞬間の要素であるため、ミックスで映えるキックにするためには優れたアタックが欠かせない。
· ボディ:アタックのあとには、重みのある低音要素がやってくる。 リスナーの注意を喚起するのがアタックだとするなら、ボディは心に(そして、腰に)響く部分だ。
· テール:テールは音の減衰部であり、ボディの末尾の短い部分を担うこともあれば、キックを象徴する部分を担うこともある。 たとえば808の長いキック音では、ゆっくりと減衰するテールが808の特徴に欠かせない要素になっている。
アタック、ボディ、テールのそれぞれ異なるキックの例をこちらで聞いてみよう。Operator、Drum Buss、Dynamic Tube、Delay、Redux、Saturator、EQ Eightを使ってLiveで作成したものだ。
こちらの例からわかるように、同じ音作りの基本ツールを使っていてもまったく異なるキック音を得ることが可能だ。
初期ドラムマシンのキック
初期の機種は、ドラムマシンというよりも“機械”としての性格が強く、基本的には反復するリズムに特化した原始的なシンセサイザーだった。 ドラムマシンとして分類することのできる初めての楽器として一般的に考えられているのは、電子楽器発明の先駆者Leon Thereminによる1931年のRhythmiconだ。Rhythmiconはピコピコとした音やモーターのような音を自動で発する。
のちの発明によって打楽器としての性格ができあがっていったが、それでもやはりドラムマシンと呼べるものではなかった。 実際に初のドラムマシンとされているのは、1953年にKorgによって発表されたドンカマチックだ。この名前はGorillazのシングル名にもなっている。
特筆したいのは、当時、こうしたドラムマシンの用途はかなり限られていたことだ。 当時のドラムマシンは基本的にメトロノームの拡張版であり、ミュージシャンの練習やデモ録音のほか、オルガン奏者に省スペースで伴奏リズムを提供することが意図されていた。
キックの発展
音楽テクノロジーの歴史には、思いがけない使い方や意図しない使い方から独創的な表現の新しいかたちが生まれた事例が数多くあり、裂けたスピーカーからギターディストーションが生まれていたり、デジタルシンセサイザーやサンプラーの技術的な限界からグリッチミュージックのコンセプトが始まったりしている。 どの先駆的な作品にも言えることだが、ドラムマシンを初めて採用したとされている作品が興味深い。 Stevie Wonder、Sly and the Family Stone、Iggy Popなど、一部の先進的なアーティストたちがドラムマシンに引き付けられた理由は、とりわけ、機械的で揺らぎのないメトロノームのような特性だ。
しかし、現在知られているエレクトロニック・キックを推し進めたのは、多くの場合、ディスコを制作していたアーティストだった。 Donna SummerとプロデューサーGiorgio Moroderが築いた共同制作の関係から、今もダンスフロアで定期的に流れる不朽の音楽が誕生し、 『I feel Love』のような楽曲によって、エレクトロニック・キックという存在(そして、人間的ではない鼓動が人間を踊らせるという役割)が確立された。 ディスコ以外では、扇動的なインダストリアル・サウンドを切り開いたThrobbing Gristleがエレクトロニック・キックにすばらしい体験を見出している。
その一方でニューヨーク・パンクの異端児Suicideは、60~70年代の三流エンターテイナーのお約束だったオルガンとドラムマシンの組み合わせを、高速で過激なミニマルスタイルに変化させてシンセパンクのプロトタイプを生み出した。その楽曲を支えていたのが、SeeburgのSelect A Rhythmを安物のディストーションとアンプに通して打ち付けられていたエレクトロニック・キックだった。
現代に伝わるキックの登場
ヒップホップ、テクノ、ハウスといった音楽を80年代からこれまでに聞いたことのある人なら、伝説として現代に語り継がれるドラムマシンのキックの音を耳にしたことがあるはずだ。 そのキックが誕生した80年代は、新種のエレクトロニック・キックが登場した時期だった。
随所で耳にする有名なキックとして、RolandのTR-808を超えるものはないだろう。 1982年に発表されたTR-808は、それまでにRolandが発表していたCR-78などの後継機だった(CR-78が主に販売対象としていたのは、セッションドラマーなしでデモを制作する作曲家やオルガン奏者だった)。
TR-808の音を1度聞くと、生ドラムの音の代用として適切であるわけではなかったことがわかる。 しかし、頑丈でズシンと空気を震わすキックを含むその異質な音により、TR-808はドラムマシンを象徴する機材になった。 TR-808のキックは、数々のハードウェアやソフトウェアで再現が試みられるほどの賞賛を獲得している。LiveでTR-808のキックを使ってベースを作るテクニックのまとめもチェックしてみよう。
TR-808の音はドンカマチックよりも充実していたものの、前述したように、生ドラムの代用になるものではなかった。
1983に登場したTR-909は、Rolandが放ったエレクトロニック・ドラムマシンの次なる刺客だった。 TR-909では、粗いサンプリングによるシンバルが加わったほか、より攻撃的で深みのあるキック(引き続き、アナログ音だった)が起用された。 ハウスとテクノの定番であるTR-909のキックは激しくドシンと打ち付けられ、ディストーションとの相性がとてもいい。
聞けばわかるとおり、TR-909のキックはTR-808のキックよりもアタックとボディがたくましくなっている。 ミックスで映えるのはTR-909のキックだが、TR-808のキックの低域は豊かで伸びがある。 この点を踏まえると、TR-808のキックとトラップのビートの相性がいいのは理にかなっている。トラップのビートでは、高速ハイハットや鋭いスネアで中域と高域の周波数が埋まっていて、残りの低域をTR-808のキックが埋めているからだ。
デジタルのキック
当然ながら、キックはアナログ音だけではない。 プロのミュージシャンがTR-808やTR-909を中古店で売ったあと、初期のサンプルベースのドラムマシンにお金をつぎ込んだという逸話がある(そして、ハウス、ヒップホップ、テクノの熱烈なプロデューサーが、中古のTR-808やTR-909を手に入れた)。 生演奏をサンプリングしていたものの、ビットデプスとサンプルレートの低い初期のEPROMチップで鳴らされる音には独自の電子的な鋭さがあった。
自分の持っているドラムサンプルをLinnDrum時代と同じ処理で鳴らしたいなら、Abletonの共同設立者Robert Henkeが無料で提供しているMax for Liveデバイス“Microdrum”(英語)を使ってみよう。
もちろん、デジタルによってキック愛好家に提供されたものは、ほかにもある。 実は周波数変調(FM)を少し適用するとキックのすばらしい追加要素になり、キックを際立たせたり、キックで楽曲を特徴づけたりすることができる。 FMを適用したパーカッションを推し進めた人で、Autechreを超える存在はいないだろう。『Tilapia』で、デジタルのキックやパーカッションの持つ音の硬質さをチェックしてみよう。
専門家に聞くキックのミキシング
シンセサイズしたキック、サンプリングしたキック、アナログのキック、デジタルのキック。どんなエレクトロニック・キックにせよ、正しくミックスする必要があることに変わりはない。 ミックスについてもっと知りたい人のために、Valence Studios(英語)の筆頭ミキシング/マスタリング・エンジニアであるKevin McHughからアドバイスをもらうことができた。
EQとコンプレッサーの2種類が、エレクトロニック・キックでとくに使用される一般的なエフェクトだ。 McHughは次のように語っている。「上手に構成されたキックであれば、EQはそれほど必要ありません。 ただし、コンプレッサーはエレクトロニックミュージックのほとんどのキックで重要な構成要素になっています。 残念ながら、コンプレッサーは“音量を上げるためのボタン”として扱われてるようになっていますが、本来は、キックの動きを構成するさまざまな要素をミックスで引き立てたり、操作したりするためのツールです。 コンプレッサーはキックを躍動的にしたり、平坦にしたりすることができるほか、アタックやディケイを強調したり、ハーモニック・ディストーションを追加/除去したりすることもできます。 コンプレッサーの設定と、その設定がキックの仕上がりとどのように関係するかによって、楽曲のミックスはまったく違うものになります」
ミックスをするとき、エレクトロニック・キックに対する不満としてよく挙げられるのは、“埋もれている”ことと、“重さが足りない”ことのふたつだ。 McHughは次のように対処している。
埋もれている:「ADSRのようなシンセの代表的な構造に気を使いすぎるよりも、キックを構成する3つの重要な要素について考えるといい場合があります。その3つとは、アタックの“カッ”という部分を調整するトランジェント、“カッ”という部分から“ドンッ”という部分までの推移を調整するエンベロープ、キックがとどろいて音が消えるまでの減衰を調整するディケイです。 ミックスでキックが埋もれているのは、通常、この3つのどれかが曲の別の要素と適切なバランスになっていないからです。トランジェントが明瞭じゃないため、よくわからなくなっていることもあれば、 ディケイが長すぎて、ミックスの低域部分が濁っていることもあります。 キックをミックスに埋もれないようにするには、この3つのどれかを調整することになります」
重さが足りない:「キックの“重さ”というと、エンベロープかディケイに関係していて、 キックに含まれる一番低い周波数と一番音量の大きい部分を指していることが多いです。 通常だと、この部分に重みを加える最適な方法は、短めに設定したエンベロープを調節して、すぐにディケイへ推移させることです。 もちろん、重低音を多く含むキックのディケイを長めにすると“重く”感じられますが、“ドンッ”という部分がなくなり、ぬるくぼんやりとした低音になります」
チューニングすべきか?
Abletonの音楽制作フォーラム(英語)などを読んだことがある人なら、ベースラインの基本周波数にキックをチューニングするという話題を目にしたことがあるだろう。 この点について、McHughは説明を加えながら次のように語っている。「その選択は、とても主観的なことですね。キックの場合、根幹となるディケイを担う周波数が60Hz以下に含まれているんですが、人間が60Hz以下の音を区別するのは難しいんです。 曲によっては、その部分がベースラインの音程のようになるので、チューニングが必要になることがあります。そうでない曲では、“ドンッ”という部分を適切に設定したほうが、キック以外の低域が活き活きとする場合もあります。どうするか自分で決めてかまいません。ただし、重低域がぐちゃぐちゃにならないように気をつけてください。
自分でやってみよう
最後に、McHughからのアドバイスを紹介しよう。 エレクトロニック・キックでおすすめのテクニックについて尋ねたところ、McHughから次のような回答が返ってきた。
「陳腐に聞こえるかもしれませんが、長年制作をしているうちに、テクニックや特定の機材を気にしなくなり、自分の耳を鍛えるようになりました。 高価ですてきなスピーカーはちゃんとした部屋で聞かれないと無駄です。巧みなミックステクニックを知っていても、素材をしっかりと聞きこんで判断しないと、結果は出ません。 キックは、チェスの盤上に並べるひとつの駒にすぎません。 代わりのない重要な駒ですが、ほかの駒と協調して初めて機能します。 キックの変化する仕組みや、目的に合わせたキックの使用方法を学ぶことで、制作がはるかにおもしろくなります」
歴史、作り方、ミックスといったキックに関する知識を少し学んだところで、今度は自分の曲で実践していこう。 足がかりとして、30種類のキック音をセットにした2基のドラムラックを無料で使ってみよう。 Operator、Drum Buss、Saturator、Redux、Dynamic Tube、EQ Eight、Delay、Utilityなど、Abletonのデバイスでどの音も作成されている。
ダウンロードする(Live 10 Suite/Standard/Introと互換性があります)
さらに詳しく知りたい人や、独自のシンセシスでキックを作るアイデアを探している人は、こちらのLiveセットもダウンロードしてみよう。すべての音をシンセで作成した設定がわかるようになっている。