A.Fruit:ゲームのサウンドデザインを交えた先鋭ベースミュージック
ビデオゲームに関する会話の多くでは、プレイ感覚やグラフィック、もしくは仕組みが話題の中心になりますが、感情的な深みを表現して記憶に残る体験を生み出す要素になることが多いのは、サウンドデザインではないでしょうか? おなじみのゲームのBGMをたった数小節聞くだけで、プレイヤーはその架空の世界に連れ戻されて、関連する事柄を思い出すことがあります。即席の郷愁旅行ですね。 分野をまたいで話題になる作曲家たちがいるのは、そのせいなのかもしれません。たとえば、Segaのシリーズ作『ベアナックル』で古代祐三が手がけたテクノ/レイヴ感のあるサウンドトラックは、近年、ヴァイナル盤コンピレーションとして再発され、ライブイベントの開催にまで発展しています。 ゲームのオプションを選択したときに聞こえるとてもシンプルな効果音ですら、必要不可欠な反応をプレイヤーに返して、“何かしていること”を伝えています。そうした音で「はい。あなたの入力を受け取り理解しました」と確かめているわけです。
1972年に大ヒットしたAtariのアーケード・ピンポンゲーム『Pong』は、初めてプレイヤーとのコミュニケーションに音を利用した作品として有名です。“ビッ”という2種類の特徴的な音が、1オクターブ離れた音の高さでプログラムされ、ラケットや壁にボールが当たったことを知らせます。“ビーッ”という長い不協和音は、ゲームの勝利の音としていまでも多くの人に認知されているほどです。現在では、新作ゲームの成功に音楽や効果音が欠かせません。EDMで大人気の実在するスーパースターが高予算のゲームに登場して消費者を惹きつけることもあれば、インディーズのゲームスタジオが著名な作曲家と強力なタッグを組んで(英語)、没入感のある音響世界を創り上げることもあります。
継続的な成長にともない、業界はサウンドデザイナーや作曲家にとって自らの技術を磨く刺激的な活動場所になり、同時に、レコードの売上やツアーだけで得られる以上の安定を提供することにもなっています。 そのゲーム業界がプロデューサー/DJの活動にとって理想的な補足役になると感じてきたアーティストのひとりに、A.Fruitをステージ名義に持つ、ロシアのAnna Derlemenkoがいます。 忙しいツアースケジュールや、Hyperboloid、Rua Sound、Med Schoolでのリリースをつうじて自身の名声を築きつつも、日中、彼女はサウンドデザイナーとしてリトアニアのビリニュスに拠点を置くゲーム開発会社Charlie Oscarのために働いています。
「わたしはゲーマーってほどじゃないですけど、子供のころはよく遊んでいました。懐かしさに浸れるように、いまもPS1を持っています」と、サンクトペテルブルクにある自宅からAnnaは話します。大学生のころに『Fallout』や『Heavy Rain』などの人気タイトルを少し遊んだことがあるくらいという彼女が、この業界で働くことを決めたのは、必要とされる場所で自分の制作スキルを使いたいという実務的な考えからでした。「音楽を作り始めたころは音作りが大好きで、どうやったら音を作れる仕事に就けるんだろう、と考えていました」
Annaの技術を示すものとして、Loop Createで彼女が担当したリアルタイム・チャレンジ(英語)があります。 このチャレンジでAnnaは、それまで一度も見たことのない映像を見て、その場面を生き生きと演出する工程を公開し、創造性豊かにサウンドデザインをするための方法を説明しました。 同じ作業を参加した人たちに自ら試してもらったり、どのようにやるのか参考にしてもらったりするなかで、 もっとも大変だったと彼女が振り返るのが、現実に存在するものを作ることです。それは、猫がガラスの器に入ったものを飲む音でした。
この課題で使える音源をフォーリーサウンド(実際の生活音を録音して、映像の挙動に合わせて使用する手法)のみに限定されたAnnaは、次のように話しています。「たとえば、ひとつのサンプルだけで1曲つくるとか、ひとつのテクニックしか使わないって感じで、自分に制約を与えれば、訓練としてすごく効果的だと思うんです。そうすれば、自分の持ってるスキルや思考を向上させることができます」
仕事で習得する
Annaの仕事生活では、2種類の面がきれいに共生するようにつながりあっています。 ひとつは、音楽制作が好きだという気持ちです。この思いから、彼女はサウンドデザインの仕事を探しました。もうひとつは、その分野で仕事をするという経験です。この経験から、彼女の音楽制作の方法は影響を受けてきました。 とりわけ、仕事で求められる要件のおかげで音作りの技術が向上しています。早い時期のDerlemenkoの作品では、プリセットを華麗に使ううまさが表れていましたが、仕事で音を一から作ることを覚えるにつれて、高度に創作できる自由さが広がりました。
ただし、独創的な表現の余地が商業的なプロジェクトにないのかというと、そんなことはありません。 通常、クライアントには、どんなものを求めているのか考えがあり、さらに、明確な概要書が用意されるときもあるのは事実ですが、Annaは、自分自身の考えで制作に貢献する場面を楽しんでいます。 「先方には作品のビジョンがあるので、先方の欲しいものを作るためにわたしたちはそこにいるんですけど、 独創性を出す機会は常にあります。すでにクライアントを知っているときは、とくにそうですね。それだと、どんな作品を欲しているのか想像できるわけですけど、自分の気持ちから何かを加えられます」
商業作品の仕事でも、作曲や編曲に関する発見があります。 サウンドデザインの仕事に携わるまえは、DJにとって理にかなっている曲を作ることがA.Fruitの制作で重視されていました。 「いくつかのハイハットとか何かしらでイントロをいつも作っていましたが、ゲームの仕事をするときは、それが目標になることは絶対にないです」。実際のところ、ゲーム用に音楽を作っていて大切な検討事項のひとつになるのは、プレイヤーが特定のエリアに居続けるかぎり、そのエリアの曲が終わらないように、曲をいつまでも繰り返しにすることだそうです。 「展開していないといけないけど、自然に繰り返されてないといけないから、曲の終わりと始まりがつなげられるものになります」
曲の始まりから終わりに向けて進むだけではない、こうした考え方をするようになったことで、Annaは、A.Fruitとしての自分を表現する新しい方法を考案することになります。 この変化の好例として彼女が挙げるのが、2018年のリリース“Your Inner Sun”です。 「クラブミュージックの制作ルールに従うんじゃなくて、サウンドデザインのルールに従っているものがこれでできたぞって感じました。曲をつうじてストーリーを表現しているんです。DJでかけるための曲を作っているだけじゃなくて」
シーンを育む
もともと、Annaはモスクワ出身ですが、新しい刺激を求めてサンクトペテルブルクに引っ越しました。この引っ越しについて、彼女は、ロンドンを離れてブリストルに行くようなものだと語っています。 ただし、ブリストルはベースミュージックの異種を多く生み出すうえで注目に値する役割をはたしてきましたが、比較して、サンクトペテルブルクのシーンは大きくありません。 同市で開催されるパーティーには、コミュニティ感覚があり、彼女は、志を同じくするグループやシーンの中核メンバーとして、Grechafunk、Fat Vibez、Urban、Blkroom Communityを挙げます。 Anna自身のグループであるGet High On Bassは、若手アーティスト、とくに女性のプロデューサーとDJのサポートに注力しています。 「みんなお互いに知り合いで、みんな友だちですね。 わたしはみんなのパーティーに行くし、みんなはわたしのセットに来るんですけど、本格的なものじゃないです。 300人を超えるベースミュージックのパーティーなんてないですよ」
Annaは、頻繁に地元を訪れて、より幅広く発展している地元シーンとのつながりを保ちつつ、引っ越し以前から自身が築いていた知名度を活かしています。 「モスクワでの経験のほうが多いですね。 出身地だし、つながりが多くあって、友だちも多くいて、わたしのしていることを知っている人が多くいます。 サンクトペテルブルクに来て、ほぼ4年ですけど、そのうちの2年は、ウィルス感染拡大の年ですからね。 この場所にすっかり馴染めたとは言えないです」。そんな彼女は、Get High On Bassのイベントを再開するときに2都市での開催を思い描いており、モスクワの確固としたネットワークと、固い絆と情熱によって結ばれたサンクトペテルブルクのコミュニティで見つけてきた新たなエネルギーを、さらにつなげていきたいと考えています。
スタジオを構築する
最初のサウンドデザインの仕事で提供されたスタジオにAnnaが到着したとき、本人曰く、感動はそれほどなかったそうです。 「2台のモニターと1台のMac以外は、実際、そんなになかったです。 ProToolsといくつかVSTが入っているだけ。 そこで気づいたんですよ。自分の好きな場所で作業することもできるなって」と語る彼女は、最近、個人の制作でも商業関連の制作でもサンクトペテルブルクにある自身のスタジオで行っていて、 設備はかなり簡素であるものの、作業に必要なものはすべて備わっているそうです。
Annaが日々の作業用として挙げる主要機材は、2010年製のiMac、YamahaのモニタースピーカーのHS80m、MOTUのオーディオインターフェースAudio Express、そして「古き良き相棒」であるZoomのH4nです。 彼女のスタジオでの信条は、落ち着いて考えて、あるものでやりくりすること。 コロナ禍のあいだには、エレキギター、Launchpad、RolandのMC-808を売り払っています。「でも、食べていけたし、 後悔してないです。1年間、触らないまま放置していたものを全部売りました」。売らずにとっておいた機材もあります。KorgのDW8000です。1986年のこのハイブリッドシンセを、彼女はファーストEPの制作で使用したとのこと。
Annaが頼りにしているフォーリーサウンド集には、効果音を生み出すためのツールがたくさん入っています。 ゴム、ガラス、プラスチック、金属などの音が収録され、いずれも実世界の音を模倣するのに必要なさまざまな質感や音色を提供するものです。 ただし、スタジオから外の世界へ踏み出して、特定の音を見つけて録音しなければならないときもあるようです。 「作業に取り組んでいたゲームで、ぜんまい仕掛けの時計の音が必要になって、 SNSを使って『誰か、昔の時計の音を録らせてくれませんか? チクタクって音がするやつ』ってお願いしたんですよ。 それから何人か友だちの所に行きました。レコーダーを持っていって、その場所で録音しましたね。 必要なものを全部録ってから、スタジオに戻りました」
バランスを保つ
サウンドデザインは、当初、生計をたてる手段でしたが、いまでは、A.Fruitの制作に欠かせない一部になっています。ツアー再開の目途がたっても、サウンドデザインの仕事を辞めるつもりはAnnaにありません。 「商業作品の制作に取り組むのは、いまも好きです。 お金のためだけじゃなくて、新しいジャンルの音楽に挑戦するおもしろい機会でもあるんです。 そういう制作に取り組みながら、プロとして成長しているのを感じますね。なので、将来の理想としては、とくにおもしろそうな案件だけを受けるようにして、あとは自分の音楽を作るようにしたいです」
そして、どうやらこの構想には、2種類のキャリアのつながりを強化しながら、選べる仕事の案件数を増やせる可能性が秘められているようです。 「自分の音楽がもっと知られるようになったら、商業作品の話が来るようになって、参考にする音はどんなものか尋ねたときに、『A.Fruitみたいなやつが欲しいんですよ』って言ってもらえるかもしれないじゃないですか」
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A.FruitがLoop Createで担当したリアルタイム・チャレンジを自分でも試してみたい? こちらの映像をダウンロードして、映し出される場面に合う音を作ってみましょう! 「Liveで映像を扱ったことないんだけど…」という場合は、こちらのページをチェック。映像を扱うときの注意事項がまとまっています。