Body Meat:異なる世界を混ぜ合わせる
フィラデルフィアを拠点に活動するエレクトロニック・ミュージシャン、Body Meat (Christopher Taylor)が昨年リリースした7枚目のアルバム『Truck Music』は、トラップ、グリッチ、シカゴのフットワーク、R&Bといったジャンルを巧みに、そしてアクロバティックに融合させた作品だ。 それは、ジャンルを切り分けてつなぎ合わせたパッチワークであり、予想外のテクニックと特異なロジックを駆使して、複数の曲が同時に聞こえる曲を生み出した。
Taylorは楽しみながら楽曲を徹底的に引き裂き、それでいてその裂け目には紛れもない美しさがある。 作品は色鮮やかで流動的だが、Body Meatの実験的なサウンドデザインでは、常にポップミュージックが着想の起点であり、そして終着点になっている。
Taylorの音の実験は、とめどない編集と縫合の産物などでは決してない。 それどころか、Body Meatのサウンドはライブパフォーマンスにしっかりと根ざしており、サンプリングされたドラムのパッド、MIDIキーボード、さまざまな音色のギター、そして自身の声によって増強されている。その声は、断片に切り分けられたり、グリッチにされたりすることもあれば、高音域で魅力を放つこともある。
Taylorの幼いころの記憶に、「黄色い家」のベランダでファルセットの歌声を響かせる母親の姿がある。 当時のTaylorは7、8歳。今はもう、母親の歌った曲を思い出すことはできなくなってしまったが、その場面はずっとTaylorの脳裏に焼き付いている。 ほかにもTaylorは、70年代のジャンル超越バンドEarth Wind & Fireの音楽をたくさん聞いて育ち、父親と車に乗っているときには、Luther VandrossやSadeのようなアーティストを混ぜた、90年代後期のポップミュージックが決まって流れていた。
「『Truck Music』で試みたのは、素の自分の音、先祖の音、音楽とともに生きてきた自分の出発点の音を使って、学びを得られる“音のパレット”を作ることだった」と語るTaylorは、作曲やレコーディングのまえに計画やコンセプトを一切考えないと強調する。 『Truck Music』を聞けば、Body Meatが音楽的な“今”を単に実践したものではなく、Taylorの若かりしころの音に居場所を提供するプロジェクトであることが感じ取れるだろう。 音楽からは多面的な音の魅力が露呈しているものの、Taylor自身がレコーディングに完璧さを求めているわけではないのは明らかだ。
数週間前にTaylorの話を聞いた際には、自身の音楽教育のほかに、音楽制作を始めた経緯について語ってもらった。 さらに、定評のあるTaylorの作曲テクニックにそれほど影響を与えることなく、レコーディング作業をデジタルレコーダーから音楽ソフトウェアに移行したことについても話題が及んだ。
小さな町で育ったんだよね? それが後の音楽的な考え方にどのような影響を与えたと思う?
ペンシルバニアのエイボン・グローブという小さな地域で育った。 かなり転々としたけど、12歳の時、両親が別れて母親とデラウェアのアパートに引っ越したんだ。 そこから、メリーランド州のエルクトンに引っ越して、高校へ行った。思春期は、自分が何になりたいのか考える時期だったね。
小さいころは両親がかけていた音楽か、ポケモンのサントラしか聞いてなかった (笑)。本当によく聞いていた。 子どものころはアニメをたくさん見ていて、 今でもアニメは好きだよ。気に入っている表現手段だね。昔聞いていたのはポケモンのサントラとドラゴンボールZ。 10歳のときに兄がドラゴンボールZのテープをダビングしてくれたんだけど、 汚い言葉遣いのセリフが使われてたから、超アガった。 南フィラデルフィアの古い漫画/アニメショップに行って、そこでドラゴンボールZとトライガンのテープをたくさん買ったんだ。
ギターに興味を持った場所は、メリーランドのエルクトンだった?
エルクトンに音楽を作っている人がいるってことは知っていた。親友のAndrewと出会った場所もエルクトン。Andrewは音楽をじっくり聴くという楽しみ方を教えてくれたんだ。 SilversteinやHawthorn Heightsみたいなエモ系のCDも教えてくれた。でも俺はACDCも大好きだったよ。 古いエモ系の音楽にハマってた。My Chemical Romanceとか。今でもかっこいいバンドだよ。 すごくポジティブなんだ。 今、Gerard Wayの映像を見たら、最高にカワイイおじさん。 My Chemical Romanceからは本当にいいヴァイブスをもらっているし、それを恥ずかしいとは思ってない。 つまりAndrewが、音楽を理解しようとすることを教えてくれた。
高校に通っているうちに、ヒップホップにも本格的にハマった。 少しのあいだ、Immortal Techniqueに超ハマって、そのあとはJedi Mind Tricksにハマった。あと、スケートボード関連のものもたくさん。Gang Starrとか。とくにアルバムの『Moment of Truth』。 Wu-Tang ClanとBig Lもよく聞いていたけど、最近だと問題だね。Big Lが言うことは、ひどいし時代遅れだから。でも、Big Lは本当にいい音楽を作る。
Wu-Tang Clanのビートは強烈だったね。90年代は、ヒップホップにとって最高の時代だった。
同感。 90年代後半から2000年代前半のヒップホップも聞いていたけど、ぶっ飛んでるよ。 どんなものも循環して戻ってくる。 あのラップスタイルはまた戻ってきて変化していくね。
このまえ、Brandyの曲を聞いたんだ。 Brandyは好きだったけど、音楽や制作の分析しようとしたことは一度もなかった。でも、その曲はフットワークの曲みたいだったよ。 もうパッキパキ。 ヒップホップやR&Bの時代は、そういうのが本当にクールだった。 ポップミュージックの名曲も、聞けば聞くほどメモをとっちゃう。 ハイハットの使い方とか、808の細かいビートからゴツいビートまでの使い方とか、展開が派手で早くてブレイクビーツみたいだ、とか。 そういうのがすごく好きで、今でもメモに取ってる。
R&Bの女性シンガーの曲には、ヒップホッププロデューサーがすばらしい仕事をしているものがあるよね。 とくにTimbalandとThe Neptunesがプロデュースしたもの。たとえば、TimbalandがAaliyahのためにやった『Try Again』とか。 あの曲のプロデュースはすごくいい。
そうそう、キレキレだったよね! 1回のサビで30回キックを入れていて、気づきにくいんだけど俺はすごく好き。 なんだか手に負えない感じで、だからこそ今の自分がこれだけ音楽を好きでいられているんだと思う。 トラップにしても、最初はすごく変な感じで、ルールもへったくれもない。そのやり方をみんなが見つけて同じことを2~3年繰り返して安定してきたところに、また新しいことが起こって、またルールがなくなる。 ルールのないあの合間の期間がすごく好き。
何かを30回くらい連続で繰り返すだけで曲になっていて、それが全米1位になることもあるという発想が大好き。 DIYのライブでそういうのを見たことがあるんだけど、うまくやることで、ごく普通の人にすごく変な曲を聞かせられるんだよね。
映画『Inception(邦題:インセプション)』みたいだね。何も知らない人の頭の中にアイデアを植え付けている。
そう、そのとおりなんだよ! 俺がやっていることが、それなんだ。 今のポップミュージックや最近の子たちの作り方もいいんだけど、俺は何が“インセプション(発端)”になって普通の人たちを引き込んで好きになってもらえるのか分析してる。 ポップミュージックの考えをどこまで緩めて、いいと思ってもらえるようになるまでどのくらい攻めたらいいんだろうってね。 そういう変なやり取りを、みんなとしたいんだ。
さっき言っていた思春期の音楽体験についてだけど、どの時点で楽器を手にして音楽制作を始めたの?
最初のギターを手に入れたのは、大学に入る直前。 アコースティックギターで、エルクトンの質屋で激安だった。 友だちがBright Eyesの曲の弾き方を教えてくれて、その曲が唯一自分で弾ける曲だったよ。 その曲でギターの弾き方を学んだけど、自分で曲を書くためにコードをすごく勉強したかった。 最近だと、Luther Vandrossの『Never Too Much』をやったよ。おかげで、その曲のコードをピアノでうまく弾けるようになった。
美術学校に行くためにカリフォルニアに引っ越したんだけど、長く続かなかったから、写真を始めたんだ。それでも、ちょくちょくギターをガチャガチャやってた。 そのあとオークランドに引っ越して、Andrewとふたりで、友だちのStephenのインターフェースに1本のマイクで録音してた。 フォークを数曲書いたんだけど、俺はもっとギターをうまく弾けるようになりたかった。 それからオークランドにいる友だちの家の裏庭でテント暮らしをしたよ。人生の移行期だったからさ。 どこに行きたいのか、何をしたいのか自分でわかってなかった。 結構な文無しで、引き続き写真を撮って、フィルムをテントの中で吊るしてたよ。 ラップトップでGaragebandを使って曲を書くこともしてたけど、使い方をよくわかっていなかった。 何もリリースしていなかったけど、曲だけは大量にあったね。
結局デンバーに引っ越すことになって、そこでBoss BR-600っていう小さな8トラックのデジタルレコーダーを手に入れて、それに曲を書いていくようになった。 俺はBR-600に内蔵の電子ドラムでドラムを打ち込んでいて、その上にAndrewとふたりで数曲録音したんだ。 Body Meatの最初のテープは、全部そのレコーダーで書いた。 マイクが付いていて、ギターを録ったり、やかんとかフライパンを叩く音を録ったりするのに使ってた。
そのあと、デンバーにいる友だちのEvanがもっと大きい12トラックのデジタルレコーダーをくれて、それには大きな画面が付いていて、メモリーカードと複数のマイク入力もあった。 あの12トラックを貰っていなかったら、誰かに録音をしてもらっていただろうね。 自分の音楽は、Stevie Wonderの曲みたいだったよ。プロのスタジオで作られているみたいな (笑)。本当に安いドラムセットを購入して、1本のマイクでレコーダーに打楽器を録音するようになったから、曲全体は完全にドラムの音を土台にしてた。 いつもドラムのワンテイクにギターの演奏を乗せていて、それをボーカルエフェクトに通してギターをシンセの音色に変化させてたんだ。 あとになってMIDIピックアップのことを知ってからは、当然、完全に世界が変わったね。
あのレコーダーだと最後まで曲を録音できたから、それでMody Meatを始めることにしたんだったと思う。 いつでも好きなときに好きなスタイルで音楽が作れたから。 これぞ自分のものだと思えるものが欲しかった。そうすれば、ほかのことにうんざりしても、Body Meatとして好きなものを作れる。
12トラックで録ったあとはトラックをWAVファイルとしてLive 9 Suiteに取り込んで、ミキシングとマスタリングをやってたよ。 Liveで録音したことは一切なかった。どうすればいいのか、まだ知らなかったから。当時は、オーディオインターフェースも持ってなかったし。
録った音を切り分ける作業は、デジタルレコーダー内でやっていたの?
レコーダー内で切り分けてたけど、切り分けることができたのはドラムだけだった。だからドラムはいつもワンテイクで欲しかったんだ。 ギターやおもちゃのキーボードの場合は、切り分けたものを12トラックに入れるようにしてた。 その音のピッチを上げ下げしたり、自分の声をリズム楽器として使おうとしたり。 そういったことが今やっていることに変わっていったんだ。コンピュータがなかっただけ。 サンプリングしたかったけど、サンプラーを持っていなかったから、全部、生でやってた。 俺がバックボーカルをやっているパートがあって、そこではサンプルの音飛びに聞こえるように歌ってるよ (笑)
DAWじゃなくてデジタルレコーダーでやったとしても、当時の録音は今と同じような音なの?
間違いなくそうだね。 2週間前に今回の隔離期間が始まったとき、自分の過去の作品を聞き返したんだ。そうするのって、すごくいいよ。いろんなことが整えられるし。 昔のものを聞くと、当時の自分に戻れるというか。 今考えてみると、世界がこんなにも変わるし、こんなにも変わっていくんだなって。 これね、おもしろいんだけど、昔の音楽を聞いていると、初期の曲のほうが今やっていることに近いんだよ。『Truck Music』の直前のリリースに入ってたものよりもね。 そのリリースでは、曲を書いて、人にパートを演奏してもらったんだ。 でも『Truck Music』のときは、自分だけだった。初期に録音した音楽と同じだね。
今は自分が一辺倒じゃないって認識してるよ。 だから、初期の録音はそれらしい音に聞こえるんだと思う。散漫な印象って言う人もいるかもね。 自分の興味はひとつのことだけじゃなくて、年を取るにつれて多くのことを受け入れるようになっている。 そういう自分の得意なこと、いいと思えるもの、手間暇をかけたものを全部理解して、受け入れるんだ。 自分の黒人らしさをもっと受け入れようと思うし、ギターをもっと受け入れようと思う。そうしたいろんなものを全部まとめて音楽にするんだ。どれかひとつを選ぶんじゃなくてね。 音楽業界はそうしてくるけどね。何かひとつのものを選びたくなるようにしてくる。でも、そうじゃなくてもいいんだよ。
今はどうやって曲をまとめているの?
まあまあ似ているかな。でも、今はエレクトロニックな音だけになってる。 Liveとコンピュータを12トラックとして使って、すべてRoland SPD-SXのドラムパッドから録音している。 ドラムサンプルやドラムヒットは全部そのパッドで鳴らしていて、ホーンの音やみんなの声を入れたインストゥルメント・ラックにMIDIキーボードをつなげてメロディーを演奏しているよ。 隔離期間が始まるまえは、世界中で音を録っていたんだ。 それを全部ひとつにして自分だけのインストゥルメントをLiveで作るんだよ。 パッド上で全体の動きをつけることができるから、しっかり制作された曲のようになる。
サンプルを切り分けたような音にするために、かなりの時間を費やしているって言っていたのは、このドラムパッドで演奏しながらやっているんだね。 曲の録音が終わったら、編集やアレンジはどれだけやってる?
ほんのわずかだよ。 唯一やる編集は、納得のいくドラムのビートが録音できたときに、ハイハットや一部のドラムの音を削除するくらい。ビートが声と被らないようにするときはとくにね。 何かをワープすることもそんなにないし、何かをグリッドに打ち込むこともしない。 クオンタイズをかけるときもあるけど、本当に少しだけ。そうしたほうがビートがよくなるときにだけやってる。 だから、中身をあちこちに入れ替えることはそんなにないし、曲に少し改良を加えてパフォーマンスで演奏できるようにするくらい。
最近、ファルセットで歌うようになったよね。 ボーカルパフォーマンスの変化について教えてもらえるかな。
昔、母親はピアノ奏者と歌手をやっていて、父親はコンガを演奏してたんだ。だから、俺の人生はずっと音楽の演奏と一緒だった。 母親はファルセットで歌っていて、それで俺もいつもファルセットで歌うようにしてる。そのほうがしっくりくるから。 初期のBody Meatの曲だと、ボーカルは音楽の重要なパートじゃなかったから、歌わなくなったんだよね。サンプリングしたみたいな声をちらほら使ってたくらい。
最近、ちゃんとしたボーカルを乗せた曲を作りたくなってさ。 もう一度やってみたかったんだ。今回はファルセットでね。ファルセットで歌うのが超絶にうまいわけじゃないけど。 友だちのMattにオートチューンを試してみるように言われてさ。もしかしたら、それでいろいろといじれるかもって思ったんだ。 オートチューンの無料プラグインを適当に選んでいくつか使ったんだけど、そんなによくなかった。でも、そのときに使っていて楽しいなって気づいたんだよ。 オートチューンを使えば、ぶっ飛んだファルセットで歌えるかもって。 TC Helicon VoiceLiveっていうぶっ飛んだペダルを友だちのEvanから買って、それでオートチューンをかけた声を録音してみたんだ。
おもしろいよ。ビビらせようとしているわけじゃないんだけど、オートチューンは、みんなが聞きたい音を鳴らしてくれないんだ。 オートチューンをかけて歌う方法をあらためて学ばないといけなかった。新しい楽器みたいなんだ。 今書いているやつでもオートチューンを使っているんだけど、元々の自分の声のことをもっと知るようにしてる。 俺は地声でも歌えるよ。 オートチューンは必要ないんだ。補正に使っているわけじゃないからね。 俺がオートチューンを使うのは、自分では到底不可能な音程を出すため。 みんなにとって少しいびつな世界を作ろうとしているだけなんだよ。
音の鳴っているものがあって、そこから大幅に違うものを作ろうしているんだ。 ひとつの曲が複数の異なる音に聞こえる音楽を作りたいんだよ。 Playboy CartiとLil Yachtyの曲で『Balmain Jeans』っていうのがあって、マジで3つの異なる曲がひとつになっているみたいに聞こえるんだ。 だから、あの人たちができるんだから、俺もやってみようかなって。 ぶっ飛んでいる曲だけど、すばらしいよ。
『Truck Music』では、音楽面とコンセプト面で何をやろうとしていたの?
父親の訪れたことのあるアフリカの国々で、音源とサンプルを求めてラジオ局を探していたんだ。その国には、もしかしたら遠い親戚が住んでいるかもしれなくて。 実験だったんだよ。音をつうじて理解を深められるかどうかを試してた。
音楽的には、それまでに制作で学んだことをすべてひとつにしようと思ってた。 いいものを作りたかった。それと同時にいびつなものをね。 ボーカルスタイルや音使いとかの面では標準的なR&Bの感じを打ち出したかったんだけど、リズムや時間の面ではポップミュージックの標準を打ち出したかった。 『Truck Music』は、複数の文化と世界を混ぜ合わせようとしてできたもの。複数の人種が入り混じった人間として日々を生きている自分の世界をね。 だから今やっている新しい音楽では、そのことをもっと理解しようとしているんだ。『Truck Music』で掴みきれたとは思えないから。 でも、そこに近づいていると思うよ。
今回の隔離期間中に、自分の過去作品を聞き返したって言ってたけど、 そのあいだに音楽制作やクリエイティブな取り組みはやった?
インターネットに何かしら投稿して、俺も今回の一件をつうじて制作の機会にあずかりたい気持ちを示したかったんだけど、精神的に自分の意識が追いついていないんだ。生き残らなきゃいけない、何とかやってかなきゃいけないっていう状況がこんなに長く続いているからね。 その考えがどうしても離れないんだ。とくに今は本当に恐ろしくて、何が起こるかわからないから。
今、窓の外を見ていると、通りの向かい側に健康リハビリセンターがあるんだけど、救急車が5秒おきに停まるんだ。 マスクをして通りを歩く人たちも見える。 俺は今、重要な存在なのか? そもそも俺の音楽は、今の世界で意義があるのか? 今必要なのは医療従事者への支援でしょ。愛する人たちの無事を確認して、みんなが家の中に留まるようにしないといけない。 そうやって考えていたら、この隔離期間でもとにかく制作できる人になりたいっていう気持ちになったんだ。
じっくりと計画を練って、パニックに陥っている自分をなだめて、世界をありのままに見て、自分の状況を受け入れる。そうすれば、これから制作するものが、きっといいものになると思う。 今この瞬間に存在するようになるんだ。現在に存在するようになって、こういうことを制作中に考えるようになる。 創作活動を逃避の手段として使うんじゃない。多くの人がやっていることだし、俺も以前はよくやっていたけどね。 俺が学んだのは、創作の時間を逃避の手段として使うんじゃなく、自分の状況を把握して、その状況を音楽に落とし込むためのツールとして使うってこと。 その状況で自分がどんな感情を抱いても、たとえ自分を不快にさせるものであっても、その気持ちを逃がしちゃだめなんだ。
ウィルスが蔓延しているときに音楽を作る精神力が自分にあると感じなくても、大丈夫だよ。 二度と音楽を作らないという意味じゃなくて、ただの音楽なんだし、楽しもうよってこと。 今、楽しんでなければ、音楽を作っても楽しくないよ。 自分の精神状態を正して、世界や自分の状況を受け入れて、じっくりと進んでいくことが必要なんだ。それが助けになることだから。 そうすれば、パソコンの前に座って、「ウィルス蔓延中のわたしの生活はこんな感じです。 すごく気分が良くなるから、今はこの曲を書いているんだ」って言えるようになるんだよ。自分自身のために新しい世界を作っているんだ。
なるほど。そうすれば音楽が自然に生まれるよね。 今回の危機以前よりも、もっと自然になるかもね。
本当だよ、本当にそう。 苦労や絶望の時代をネタにする人がいるのは嫌だね。 苦労や絶望の中からすばらしいものが生まれるとは思うけど、いいものばかりが生まれるとは思わないな。 心の余裕や経済的な裏付けがあって、苦労がない状態でも、同じように面白いものが生まれるんじゃないかな。 でも、今の自分の置かれている状況を精神的に理解して、気を引き締めて創造していくことができれば、きっと素敵なものが作れるはず。
そういえば、今回、サンプルパックをまとめてくれたんだよね。 どうやって作成したか話してもらってもいいかな。あと、このサンプルをミュージシャンやプロデューサーにどんなふうに使ってもらいたい?
初めてサンプルパックを作ったよ。 いいサンプルないかなって自分で探しているときと同じ気持ちで、1曲を完成させるのに十分な種類の音を集めた。
ほとんどの音は自分のフィールドレコーダーで録ったんだ。 フィラデルフィアを歩いていて見つけたいろんな音が入っているよ。いい音が鳴りそうだと思ったものを叩いたり、周りの音を聞いたりしながら録音した。 ワンショットサンプルを使ってメロディーを弾けるようにインストゥルメント・ラックも作ったよ。 それには、自分の持っていた音や、別の国でラジオ局のトーク番組の放送を録音したものを使っている。 複数の音やメロディーが入っているサンプルパックが好きなんだよね。 ひとつのサンプルから複数の方法で音を作っていけるのが好きだから、そうなるようにしてみたよ。
このサンプルでどこまでやれるか見てみたいね。俺の提供したワンショットサンプルやループを使って、原形を認識できないくらい違うものに変えてみてほしい。俺がサンプルを使うときは、そうしているから。 あと、ワープをかけたり、グリッドに合わせたりしてないんだ。普段、自分が作業するときもそんな感じだから。それをみんなに楽しんでもらえるか気になってるよ (笑)。