Afriqua『ブラックミュージックの原則:インプロビゼーション』
はじめに即興演奏ありき。 そうじゃなきゃだめだった。 覚えられたり、書き留められたり、録音されたりするようになるまえの音楽は、恐れ知らずの野蛮人が叩き鳴らすしかなかった。 楽器に初めて腰を据えるときや 、マイクを手に取るとき、もしくはAbletonで新しいセッションビューを作成するときに感じるのと同じ、あの恐ろしい白紙状態には、自発的な創造性をもって立ち向かわなければならなかったはずだ。 音楽は人間の体験にとって根本的なものだから、先史時代にさかのぼって音楽の起源をたどっても無意味だ。 音楽を発明した人などいない。音楽は、僕たちが自然にやることだ。 でも、言えるのは、音楽が即興演奏(インプロビゼーション)から始まったはずだということ。あの勇敢な綱渡り状態から、すべての音楽が現れるのだ。
インプロビゼーションは、自発的に周囲の音を音楽表現へ編成する能動的な作業だ。 そうした即興的な場面が繰り替えされて洗練されていくにしたがって、音楽は進化した。 当然ながら、ヤバい音ができたときは、先史時代の祖先たちでも、それをふたたび聞きたいと思っただろう。 そうして、いろんな集団が独自の音を、人から人へ、そして世代から世代へと伝えるなかで、音楽の様式が形成されていった。 のちに記譜法が登場し、それまで一時的な出来事でしかなかった創造性を、もっと正確に記録して伝播することが可能になった。 録音行為が登場したのは、比較的最近だ。録音により、さらなる記録の保持が可能になった。 でも、こうした発展にともない、現在の自発性と過去の自発性との間に妥協が生じることになった。 特定の文化、とりわけ西洋の文化では、優先されることになったのは後者だった。 それ以外、とりわけ民俗音楽の様式は、一時的な創造性にもとづいていて、過去の慣習や将来の進化よりも、現在起こっていることが優先された。 そのふたつの間にスイートスポットを見つけたのが、ブラックミュージックだ。
インプロビゼーションは、アフリカ音楽の中心だ。 聴覚をつうじて伝達される音楽文化では、集団で自発的に創造行為をすることが、その音楽の伝達手段になる。 その音楽が存続するためには演奏されなければならない。 でも、その重要度の高さゆえ、誰でも自由に参加できるものではない。 ケニアとタンザニアのマサイ族が織物の格子柄によって特徴づけられているように、いろんな民族の音楽を特徴づける特定のリズムがある。 個人がその標準から逸脱しすぎると、集団にとっては好ましくないため、いずれの演奏者も即興演奏を行える範囲に制約が課されることになる。 ただし、それと同時に、個々の演奏者は、その範囲内で自分自身を可能なかぎり表現するように仕向けられる。 これによって、集団のフローと個人奏者の表現との間に、しびれるような緊張が生まれるのだ。
こうした均衡のもと繰り広げられるインプロビゼーションは、ブラックミュージック全般にわたって感じられるものだ。 ラップバトルで誰かのフリースタイルが自由すぎたら、スタイルというものが成立しなくなるだろう。 『8 Mile』の架空のクラブに乗り入れて、象徴派の自由詩でラップしている人を思い浮かべてほしい。 それは間違いなくオリジナルだろうけど、若きMallarméには確実によろしくない。 Panorama Barで全曲フラメンコのセットをやって目立つことはできるかもしれないけど、二度と出演できなくなってもいいならの話だ。 現実は、そういった過激に異なる行為が起こることはない。それだけ、集団と従来の在り方による力が働いている。 ブラックミュージックは、試練の学び舎だ。そこでは、次々と難易度が高まるなか、無数の失敗をつうじて自己表現が徐々に習得される。 Big Daddy Kaneが言ってたように、半端モンはいらねぇってことだ。 だめなやつは、だめ。その現実をリアルタイムで知らされる。 でも、スイートスポットを射抜いたときは、これ以上にない感覚を得られる。 ブラックミュージックには、自由があるけど、 まずは相応の経験を積まなきゃならない。
奴隷制、そしてその結果、アフリカ音楽の様式が西洋で進化していた音楽テクノロジーと並列化されたことには、ブラックミュージックの持つインプロビゼーションの性質に驚くほどの影響があった。 テクノロジーによって機械的な正確さになり、音楽から魂がすべてなくなってしまったのではと思う人もいるかもしれないけど、実際は、その逆のことが起こった。 祖先たちの音楽様式をしっかりと保存する手段が増えたことで、アフリカから連れてこられた黒人ミュージシャンたちは、より多くの音楽を知れるようになったのだ。 ブラックミュージックは、突然、記譜にもとづいた音楽になったわけではない。記譜しようとすると、たいてい、不気味の谷現象が起こる。 人間によく似ているけどどこか人間らしくないロボットみたいな感覚だ。 重要になったのは、記譜よりも、聞くことだった。 正確に記録して音を再現する機能により、伝達できる量と参照できる量が増え、 これにより、ブラックミュージックはインプロビゼーションにもとづいた音楽でありながら、演奏者がより広い範囲でインプロビゼーションを行える音楽になった。 音楽テクノロジーによって参照できる音楽様式がこれまで以上に増えたことで、そこで得られる自由度も増したのだ。 アフリカ音楽の共同体の磁力は強力で、世界規模で結びつき、活性化を図るのに十分だった。それはまず、アフリカから離散させられて分派した人たちの間で起こり、続いて、世界全体で起こった。
ブラックミュージックは、社会とテクノロジーと歩調を合わせて急速に進化し続けている。 20世紀初頭のジャズの急速な発展は、それと同時に起こっていた録音の進化なしでは考えられなかっただろう。 Louis ArmstrongのHot FiveとHot Sevenによって1925年から1928年までのあいだに録音された楽曲は、革新的だった。ニューオーリンズ・ジャズを従来のものから、注目を集めた現代的なものへと移行する転換点として革新的だっただけでなく、世界中の人たちによって独創的な進歩が試みられるテクノロジーにおいても革新的だった。 録音によって音楽の進化が加速していなければ、続く数十年でDizzy GillespieやCharlie Parkerがビバップをあそこまですぐに発展させられなかっただろう。 アメリカだけでもわずか半世紀のあいだに、このようにして音楽のプロトタイプが急速に生まれ、ロック、R&B、ディスコ、ヒップホップと、ジャンルが拡張していくことになり、いずれも、それぞれ独自の世界観で際立っていながら、ブラックミュージックとしての系統からは決して逸脱しすぎることはなかった。 90年代になり、J DillaやKanye Westといったプロデューサーたちが過去の作品を利用するころになると、そのすべてを完全に掌握することはさらに困難になった。ただし、それを追求することもさらに魅力的になった。 そうやって音楽の灯は引き継がれるたびに膨れ上がっていったけど、同時に輝きも増したのだ。
音楽を生み出して配布するテクノロジーが飛躍的に進化を遂げるにつれ、さらに多くの人がインプロビゼーションというネットワークに加わっていき、ブラックミュージックの始まりと終わりがどこなのか言い当てるのはほぼ不可能になっていった。 コール&レスポンス、ブルーノート、ポリリズム、インプロビゼーションという従来のアフリカ音楽の根本的要素は、いまや、フラクタル模様のように外へ外へと拡張し、21世紀に遍在するサウンドトラックとして世界を覆っている。 ヒップホップの最先端にあるSoundcloudラップから、4つ打ちを使うブルガリアのフォークポップまで、いずれにおいても、独特で力強く伝わりやすいアフリカ民俗音楽の影響の遍在ぶりが表れている。 黒人からの影響のない現代音楽は想像しがたい。なぜなら、現代音楽はブラックミュージックだからだ。 誰もがブラックミュージックに触れたことがあり、したがって、誰もがその一部になっている。 僕たちは、耳をかたむけ、演奏し始めるだけでいいのだ。
まずは、インプロビゼーションによるブラックミュージックのプレイリストを聞いてみよう。
文: Adam Longman Parker
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